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患者さんの体験談~一病息災~

第9回

古川 忠三郎さん(ふるかわ ちゅうざぶろう:1920年生、無職)

 

「腹膜透析だから在宅でできる。大正9年生まれの父を家族全員で支えています」(娘さん)

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古川 忠三郎さん ‘20年(大正9年)生まれ。三重県四日市市在住。
地元四日市市に生まれ育ち、21歳で兵役によりジャワ・スマトラへ出征。終戦の2年後復員し、その翌年みゑさんと当時にしては珍しく恋愛結婚。二男一女をもうける。
長年病気知らずで過していたが、妻のかかりつけの病院で定期検査の際、たんぱく尿により何度も再検査をすすめられる。しかし、持ち前の我慢強さから、自覚しないまま平成17年10月、急性腎不全で入院。血液透析を開始した後、腹膜透析に移行し、その後、イコデキストリン透析液を使用したE-APDを導入して約1年。すみゑさんを中心に、長女ら子供たち、成長した孫たちを含め、家族一丸となった万全の体制で、順調な透析生活を営んでいる。
突然の発症に、家族は青天の霹靂

平成17年10月のことです。父が突然「息ができない、喘息の発作かもしれない」と言い出して、大急ぎで病院の救急窓口に行ったら、肺に水が溜まっていると。心不全を起こしかけていたんですね。そのとき初めて、以前から尿にたんぱくが出ていたことを知らされたんです。家族は当日、なんとなく父の顔がむくんでいるなと思った程度で、まさかの事態にもうびっくり。

それからが大変でした。すぐに透析をしないと危険な状態。でも、肺炎を起こしていたので、ひとまず血液透析に。「3日間がヤマです。」といわれ、そのヤマを超えて腹膜透析に切り替えると、こんどはチューブのくっつきが悪く、再手術の麻酔で意識不明に。ようやく退院できたのが年の明けた1月。まさに、私たち家族にとっては激動の数カ月でした。

入院中に部屋を改造 万全の体制で腹膜透析(PD)を準備

何もかもが初めてのことで、戸惑いもありましたが、先生やスタッフの方がとてもていねいにわかりやすく説明してくれたので、冷静に対処することができました。とにかく自宅でのPDは、清潔な環境でなければいけないというので、母と兄弟とで話し合い、長男の住む母屋の離れにあった父母の住まいと、同じ敷地内の私の家とをつなげ、透析のための部屋をつくろうと決めました。

「ええ、父の入院中に。大工さんに無理を言って大急ぎで建ててもらいました。父はびっくりしたでしょうね。帰ってきたら、自分専用のベッドはもちろん、透析液のバッグ置き場までこしらえて、在庫管理もバッチリなんですから。専用の玄関もあるので、そこからバッグを運び込んでもらえるし、家族全員が自由に出入りできます。私の娘も、帰宅すると必ずのぞいて、おじいちゃんに声をかけています。」

セッティングは妻が手際よく 夫婦二人三脚で

父の入院中に、透析液の交換の仕方は皆でマスターし、一日4回ローテーションを組んで交換していましたが、そのうちに母がすっかり覚えてしまい、ほとんど一人でしてくれるようになりました。それなら、母の負担を減らそうと、担当の先生にもすすめられ、昨年4月に就寝中に機械を用いて自動的に透析液を交換できる 「APD」導入のため入院。ちょうど1年になりますが、ほとんどトラブルもなく、父も元気に過しています。

去年の暮れにちょっとした車での自損事故を起こしてから、さすがに車の運転はしなくなりましたけど、それまでは平気で友人宅を訪問したり、母と買い物に出掛けたりしていました。今の楽しみは、もっぱらテレビと散歩、私の買い物に付き合ってくれることかな。バッグ交換のセッティングは、もう母に任せっきりです。長時間貯留できるE-APD(イコデキストリン透析液を使ったAPD)なので、寝る前にセットするだけですし。上手なもんですよ。父と話しながらササッと。私たちがしていたのをちゃんと見ていたんでしょうけど、やっぱり夫婦のほうが息が合っていますね。

家族皆で見守っている、その実感が明日を支える

夕飯のしたくは私の役目です。といっても、食事は生野菜やフルーツにもほとんど制限がないですし、塩分を2gに抑える程度なので、父の喜ぶ献立をいろいろ考えて作っています。お昼は甥が勤めている福祉施設から宅配してもらい、月2回の通院の送り迎えは次兄の分担。臨床検査技師の娘は、一日一度は父の様子をチェックし、むくみや炎症など、少しの変化も見逃さずに助言してくれます。考えてみたら、家族皆で父を見守っているんですね。おかげで本人は「どこ悪いんやった?」なんて、いたってのんき。

でも、かなりのヘビースモーカーだったのに、入院後、ピタッと禁煙したんですよ、いつのまにか。あれから1本も吸っていません。すごいなぁ~と感心しています。たぶん、戦争を切り抜けてきたので、精神的にとても強い人間なのではないかと。だから、多少調子が悪くても弱音を吐かずに、病気を悪化させてしまったのかもしれません。そんな父だから、いざというとき皆が一致団結できるんでしょう。長いこと一家の長として、私たちや孫たちの面倒を見てくれたから、こんどはこっちの番。「おじいさん、100歳まで生きてもらわんとね」と話しているんです。

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