昭和9年愛知県生まれ。長年、高血圧や腰痛に悩まされながらも、家業の瀬戸物屋を切り盛りし、両親を看取り、一人娘を育て上げる。
閉店後、夫婦で俳画を嗜みつつ、茶道教授として活躍する中、62歳のときに突然発病。丸7年の食事療法を経て、平成16年腹膜透析(CAPD)を導入。現在73歳。
若い頃はもっぱらスキーだったが、今は50歳を過ぎて始めたスイミングに夢中。そのほか、旅行、仏像などの美術鑑賞等、趣味は多彩。
週に3回プールに通っています。クロール10本で200メートル、背泳ぎ10本、バタ足で10本、それとバタフライをちょっと。いつもそのくらい泳ぎます。若いコーチは「そんなに泳いだらくたびれるよ」とお節介焼いてくれるけど、A型だから、自分で決めたらちゃんとやらないと気がすまないの。以前は 1,000メートル泳いでいたんですよ。
でも、今は自分のペースでゆっくりとね。腰痛改善のために始めて、もう20年近くになります。4年前に腹膜透析 (CAPD)を導入したときも、3ヵ月もしたら身体がナマっちゃって、再開したいと話したら、先生は心配そうだったけど、「ちゃんと管理すれば…」と許可してくれました。カテーテルは絆創膏で留めて、テープで貼ってから水着で押さえちゃう。プールから上がったら、もちろんシャワーでしっかり洗い流し、消毒もきちんとしますよ。
腎臓病と診断されたのは62歳のとき。ずっと高血圧の治療を受けていたんですけど、検査で血清クレアチニンの数値が3.8mg/dlになり、もう3分の2 が機能していないといわれて。それまでも、腰の手術をしたり、貧血がひどかったり、いろいろあったけれど、腎臓はショックでしたねぇ。もっとも、年寄りを看ていた間は、自分のことはそっちのけだったので、気がつかなかったのかも。
けど、治らないんじゃしょうがない。受けて立ちましょうってことですね。透析も、食事療法で7年は引き延ばせると聞いて、ちゃんとやりましたよ。ぜんぶ量って、なるべく手作りして。それできっちり丸7年後にCAPDに。同じ頃、主人に認知症の症状が出て、主人は娘夫婦の住まいの近くにある施設に入ることになり、生活がガラッと変わって、もう4年になります。
透析になったら何もできないと思って、旅行もいっぱいしました。ヨーロッパも家族でまわったし、しまいにはハワイ旅行で、ハナウマ湾でシュノーケル。だけど、CAPDにしてからも変わらない。さすがに海外は韓国止まりですけど、国内旅行なら思い立ったらすぐ。実は毎年、CRP(炎症反応たんぱく)が上がっちゃって、1ヵ月ほど入院するんです。もう少し早く気づけば、治療も長引かずにすむと言われるんですが、手足がむくんできたなと思っても、どうもギリギリまで我慢してしまう性分みたいで。
けど、この前も、退院後すぐにプールの仲間から電話があって「快気祝いに熱海行こう」。皆、私中心に予定を立ててくれるので、ありがたいです。食事も私の分も片付けてくれるし(笑)。一人でいるのがイヤなんですよね。主人も電話で「お前は口が達者だから大丈夫だよ」って。本当、口と気力で生きている感じです。
入院するたび、こんどは血液透析かな、と思うんですが、点滴治療をすると日に日に数値が正常に戻っていくし、カテーテルもきれいなので、毎回このままでいいと言われて退院になる。もちろん、スイミングもできる限り、続けるつもりです。泳いだ後、家に帰ると、足がポカポカして気持ちいいの。透析になってまもなく読んだ雑誌に、スイミングコーチをしている腹膜透析の人の記事が出ていて、続ける気になったんですよ。
やっぱり、できる間は何でも楽しまなくちゃね。いただいちゃった病気ですから、あの世へ行くまで大事にしていくつもりです。主人がよく言ってましたもの。「自分の身につけたものなら、死ぬときぜんぶ自分で持っていきゃいいんだから」って。今は少しボケちゃったけど、ね、いいこと言うでしょう。

