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患者さんの体験談~一病息災~

腎臓病と共にイキイキと暮らす方々に、腎臓サポート協会理事長 松村満美子がインタビュー
(職業や治療法は、取材当時のものです)

第64回

エム ナマエさん(えむ なまえ:1948年生まれ、イラストレーター・児童文学者)
HD

 


盲目のイラストレーターは「透析をしていても、健常者と変わらないよ!」と・・・

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全盲のイラストレーター・児童文学者。1948年生まれ。21歳でイラストレーター・デビュー。37歳で糖尿病で失明し透析導入後、児童文芸新人賞を受賞し作家デビュー。イラストレーション制作を再開し、米国子供服メーカー、カーターズ社のアーティスト、サンリオ美術賞受賞と活躍。詩画集「夢の力」(愛育社)、絵本「あしたのねこ」(金の星社)ほか著書多数
自分は自分のプロデューサー 泣いて暮らそうと、笑って暮らそうと、あなたが作る一日です。
~エム ナマエ「言葉の絵本」から~
イラストレーターとして活躍するエム ナマエさん。「健康な人と変わらない生活をしていることを見てもらいたい」と、講演やトークショーに忙しい日々を過ごされています。糖尿病が見つからなくて失明し、その後緊急透析導入。今や透析歴も27年ですが、愛妻と愛犬と、幸せいっぱいと話してくださいました。

 

人生ダブルヘッダー 2度楽しんでいます
松村 大学時代にデビューして、大変な売れっ子イラストレーターで、どんな生活でしたか?
ナマエ よく遊んで、よく食べて、よく仕事をして、エネルギーばりばりな人間でした。2晩、3晩の徹夜は平気、酒を飲み、たばこを吸い、不健康なくらいのほうがアーティストはいい仕事ができると思っていましたね。
松村 糖尿病だということは気がついていなかったんですか?
ナマエ 気づきませんでした。目が悪くなって眼科にいったのですが、季節性のアレルギーといわれました。そのとき「糖尿病はないですか?」と聞かれたけど、健康だと思っていたから、「なに、それ?」って感じでしたね。 ブラックラブのアルルといつも一緒にブラックラブのアルルといつも一緒に
松村 眼科に初めていかれたのはいくつのときですか?
ナマエ 20代後半です。それでまた悪くなって別の眼科にいって同じことをいわれ、いよいよ本当に悪くなってまた違う病院にいったら、内臓からきているかもといわれ、初めて内科を受診したら、糖尿病で即入院。入院して2日目に失明を宣告されました。
松村 いくつのときですか?
ナマエ 34歳。同時にネフローゼ症候群で合併症も発症していました。
松村 でも、中途失明の方ってつらいでしょうね?
ナマエ 昨日まで見えていたあそこの高圧線が今日は見えない、昨日まで見えていたネオンサインが今日は見えない。それが3年続いて、だんだんと運命を受け入れられるようになりました。
松村 それはナマエさんだから受け入れられるんですよ。
ナマエ 中途失明者はみんなそうですよ。見えていたときと、見えなくなってからと、人生ダブルヘッダーですから、得しているんですよ。
感動してくれる人がいる だから絵を描き続ける
松村 以前に描いていたイラストと、目が不自由になられてからと、違いはありますか?
ナマエ まったく違います。前は自分に見せるため、絵の中で自分が遊ぶための絵でした。失明してからは、絵の中で遊ぶことはできなくなったけど、自分の中にある世界は変わっていないから、絵を捨てて言葉のイラストレーターになろうと童話作家に転向しました。そのころ失明後に出会った家内と結婚することになり、彼女が喜んでくれるので、また描きはじめたんです。
まるで見えているかのように、手が動き、愛犬アルルが完成しましたまるで見えているかのように、手が動き、愛犬アルルが完成しました
松村 目が見えなくても絵が描けるものなのですね。
ナマエ 手が覚えていますし、身体が覚えていますから。たまたまその絵がマスコミで紹介され、「展覧会をやって」と勧められました。鑑賞に堪える絵をどうやって描こうかと、数ヶ月は試行錯誤を繰り返しました。1990年の年末に開いた展覧会で絵が全部売れ、仕事が自然に増え、作家よりも絵の仕事のほうがメインになってきました。
松村 ふたたび職業としてやっていこうとしたときに葛藤はありませんでしたか?
ナマエ ありません。画家とは自分のために描くので、自分が見られない絵を描くモチベーションはないんです。それをなぜまた絵を描くようになったかというと、人が「いい絵ですね」といってくれ、感動を覚えてくれることで、僕の絵が社会的に役に立つことがわかったからです。
生かされていることですべてがOK!
松村 現在は、どんな透析をしていらっしゃいますか?
ナマエ 週3回4時間、病院で受けています。
松村 透析を導入して何年ですか?
ナマエ
導入時は、長く生きられてあと5年、といわれたんですけど、透析のおかげで長生きができて、今や27年になります。糖尿病が原疾患の透析患者としては非常に長いキャリアだと思います。 奥様とアルルとの散歩が日課奥様とアルルとの散歩が日課
松村 トラブルはなかったですか。
ナマエ ないです。透析による合併症、副甲状腺機能亢進症とか、石灰化とかはありますけど、優れた医療のおかげで、今は検査値がすごく良いので、我ながら拍手を送りたいくらいです。
松村 導入のときは大変でしたか?
ナマエ 僕は、目が見えなくなったら死ぬだろうと勝手に決めていたので、医者にもあまりかかっていなくて、ドライウェイトが52キロのときに90キロ以上で担ぎ込まれて、緊急に透析を始めたんです。
松村 40キロも水を持っていたら大変でしたね。
ナマエ 透析で水が引けて、自分が回復して生まれ変わっていく感じでした。でも不均衡症候群がすごかったです。
松村 どんな?低血圧ですか?
ナマエ 精神がおかしくなって不思議な世界にいました。普通では聞こえない声が聞こえて、「お前の人生の本番はこれからだ」というんですよ。そしたらそんな気になって、面白いことが起きるかもしれないって、本気で思うようになりました。それを周りの人にいうと、とうとうナマエは気が狂ったって、どんどん人が離れていって、気がついたら一人ぼっちになっていました。
松村 平気そうに話されるけど、大変だったでしょうね。
ナマエ 僕はもともと楽天家で、宇宙というものに全信頼を寄せているんです。宗教とは違うけど、ここに生かされているということで、どんな運命をもらおうと、すべてがOKと考えています。
透析導入で巡り会った人生のパートナー
松村 透析導入後に今の奥様と結婚なさったんでしたね?
ナマエ ええ、彼女は透析の看護師で、透析導入の翌年に出会って、3年間頼み続けて4年目の春に結婚したんです。家内は一年間ボランティア結婚したら、僕を満足させてあの世に送ってあげられると思ったんでしょうね。ところがトントンといろいろなことがうまくいって、どんどん元気になって、最近は「ねぇ、いつ死ぬの?」って、「私にも将来の計画とかいろいろあるのよ」っていうんです(笑)。
松村 すごいお話じゃないですか。「いつ死ぬの?」っていうのは愛情の裏返しでしょ。
ナマエ わからないですね、自信はありません(笑)。
松村 ナマエさんの最高の傑作は奥様をキャッチしたことですね
ナマエ そうかもしれません。家内がいなければ僕は生きていませんから、間違いありません。
松村 まだまだ長生きできそうですね。糖尿病からの長期透析の記録を作ってください。

インタビューを終えて
やなせたかしさんの「漫画は絵で描くポエム」という言葉に触発され、イラストレーターの道に入り、たちまち売れっ子に。芸術家にありがちなめちゃくちゃな生活をして、糖尿病から失明と透析というハンデを負いながら、数々の賞を受賞し、全米デビューまで果たしたバイタリティの持ち主でした。「今は人を喜ばせる絵を描いている」とにこやかに語るナマエさんが、幸せといい切れるのは、やはり奥様のおかげ?ジョン・レノンを敬愛なさっていて、ビートルズの日本公演の話等で盛り上がり、時間が経つの忘れてしまいました。
 

 

 

 

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