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患者さんの体験談~一病息災~

第2回

橘 賢龍さん(たちばな けんりゅう:1952年生、病院職員)

 

「ええ、最初からCAPDにしようと。日頃接していると、CAPDの患者さんは本当に活発な方が多いんです」

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橘 賢龍さん 52年2月北海道深川市生まれ。
高校2年の夏休みに糸球体腎炎のため緊急入院。入退院を繰り返し、3年後、高校へ復学。卒業後は東京の放射線専門学校で学び、結婚後、帰郷して地元の深川市立納内病院で放射線技師として勤務。88年、深川市立総合病院人工透析室へ技士として転職し、臨床工学技士資格取得後、01年より臨床工学課長に。2年前の3月にCAPDを開始。看護師の妻と長女(28)、長男(26歳)、次男(19歳)。
放射線技師から透析技士へ 転職に運命を感じた

透析室勤務になったのは、まったくの偶然です。糸球体腎炎で入退院を繰り返した後、高校に復学して3年遅れでなんとか卒業し、ともかく技術を身につけ自立したいと東京の専門学校の夜学に通いました。そのとき勤めていた病院にも透析設備があったのですが、血液透析が6時間以上もかかった時代、自分自身も尿毒症の一歩手前だったこともあり、患者さんの辛そうな様子を見て、本当はあまりかかわりたくなかったんです。

ところが、勤務先の系列の本院である深川市立総合病院が、人工透析室を開設することになり、そちらに移らないかとすすめられまして。ちょうど臨床工学技士の制度ができたときで、国家試験を受けるには5年以上の経験が必要と聞いて、資格が取れるのならと決心したわけです。なんだか運命的なものを感じましたね。

患者さんに接して自然にCAPDを決意

ずっと自覚症状もなく安定していたんですが、40代から徐々に血圧が上がり始め、尿酸値も高く、薬を服用するようになり、クレアチニン値が4~5になるあたりから、「そろそろ透析かな」と。わりと自然に決心できましたね。ええ、最初からCAPDにしようと。日頃接していると、CAPDの患者さんは本当に活発な方が多い。

仕事はもちろん、毎年ハワイ旅行に行く、なんて方もいます。私も、導入後のスケジュールにも慣れ、順調に過しています。尿も変わらず出ていますし。休日は夫婦で札幌にいる子どもたちに会いに出かけたり、妻の実家の福岡へも行きますよ。

自身の体験が患者さんの不安を和らげる

職場が職場だけに、周囲も十分理解してくれていて、やりやすいですね。今年、新しく開設したMEセンターには、設計の段階から参加しました。透析室内にCAPD室を設けて、勤務時間がずれたときは、私も利用しています。何よりも、患者さんに実感をもって話すことができる。患者さんが不安なとき、困ったとき、自分の体験が少しでも役に立てばと。

たとえば、血液透析は一日おきに通院し、CAPDは一日4回液交換をする。生きるために、必ず決められたことをしなくちゃいけない。そもそもそれがたいへんなストレスです。その上、水分管理をしている人は、体重増を医者なりスタッフなりに責められることが多い。もちろん増えるのはよくないけれど、ただ頭ごなしに怒っても、患者さんには辛いばかりです。教科書どおりにはいかない。患者さんの気持ちを理解した上での説明のしかたがあると思うのです。

病気はしかたがない その中でできることがたくさんある

先生から、ある患者さんにCAPDの説明をしてほしいといわれ、透析室で家族も一緒に、どんなことが心配かを聞かせてもらったことがあります。私がCAPD患者さんの立場から話すと、ずいぶん気がラクになられたようです。そのときのご家族への言葉は「病人だからといって甘やかさないでください。できることのほうが多いんですから」。病気に落ち込み、家族に甘える人は元気になれません。病気が逃げ場所になってしまうから。

経験からいえば、クレアチニン値が4~5ぐらいになったら、透析や腎臓移植 など近い将来の選択肢を考え、早めの導入を心がけたほうがいい。もちろん、なかなか踏ん切りがつかないものでしょう。でも、先延ばしにして悪化させてしまうより、受け入れれば必ず次にすすめるんです。病気になってしまったのはしょうがない。けれど、その中で、できることがたくさんあることに早く気づいてほしいのです。

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