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患者さんの体験談~一病息災~

第16回

加藤 健二さん(かとう けんじ:1941年生、ホテル勤務)
保存期 PD

 

「移植したらこんなに元気になる。一人でも多くの人に、そのことを知ってもらいたい」

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加藤 健二さん 41年8月生まれ。
東洋大学卒業後、キャピトル東急ホテル(前・ヒルトンホテル)入社。会社の健康診断で腎臓疾患がわかったものの、自覚症状がまったくないため約13年間放置。41歳のときCAPDを導入し、1年8ヵ月後の83年、弟さんより腎臓移植。3年前に定年となって後も、ホテル側に請われ、エグゼクティブ・コンシェルジュとして勤務。長女(31歳)、長男(29歳)とも独立し、学生結婚した妻と二人暮らし。
超多忙なホテルマン 13年間症状もなく

学生時代はずっと野球をやっていましてね。健康そのものでした。勤め始めて3年ほど、ちょうどフロント勤務になってすぐに、会社の健診で引っかかったのですが、症状もまったくないし、当時は会社に寝泊りして、月に1~2回の休みに帰宅するといった生活で、慢性化するぞ、透析だぞといわれつつ13年間放ったらかし。で、ついに、足がしびれるといった症状が出て1ヵ月。最後は歩けなくなって病院に運ばれて。当時はまだ患者さんも少なかったですが、仕事に支障のない CAPDを迷わず選びました。外国人のボスが早速、ホテル内に医務室をつくって、専属のナースまでつけてくれましてね。そこにメーカーから運んでもらい、一日4回バッグ交換をしながら、仕事のペースはまったく落としませんでした。

順調なCAPD生活 でも治らないならと移植を決意

当時はまだ、腹膜透析が日本に入ってきたばかりの頃ですが、僕は本当にラッキーでしたね。腹膜炎にも一度もかからなかったし、休みがとれれば家族で旅行し、車中でもバッグ交換したり。ただ、透析で腎臓病が治るわけではないと言われて、治らないのなら移植しかないかなと。

ニューヨークで移植を受けた友人に誘われ、家を売ってでもと思っていたら、兄弟が「そんなお金を使うより、自分たちの腎臓を使ってくれ」といってくれたんです。男ばかり4人兄弟のうち、長男とすぐ下の弟の血液型が同じで、若いほうがいいだろうと弟のをもらい、手術を受けました。あれから22年、いたって健康です。なにしろ退院して半年でゴルフのコースに出たくらい。

クレアチニン値は0.7 精力的な仕事ぶりの効用?

これまでに2度入院しましたけど、いずれも骨折です(笑)。弟も元気ですよ。兄も弟も牧師なんですが、弟の4人の子供たちの学費を援助したのは、せめてもの恩返し。ただ一人移植に反対した弟の末っ子も、アメリカの学校を卒業し、そろそろ日本語を忘れそうだというので、今度僕が預かることになりました。

今は休みも週1~2回になり、一番電車で出勤して、海外に電話やメールを送ってから、ロビーでVIPのお客さまに応対するといった毎日。このホテルは来年クローズしてしまうのですが、先日も、僕がルームボーイだった頃からのお客さまにそのことを話したら、淋しがっていました。何でも食べるし、お酒も飲むけど、クレアチニン値は0.7です。一日中動いているのがかえっていいのかもしれない。

ホテルマン人生を全うし、今後は献腎運動に尽力

腎臓移植をしたことをひた隠しにする人もいっぱいいますが、僕はできるだけオープンにするようにしています。だって、移植したらこんなに元気になるんですよ。一人でも多くの人に、そのことを知ってもらいたい。これまでも、病院の移植患者さんの会の会長を務めたり、講演などで献腎の必要性を訴えてきましたが、退職したら国内外を回って献腎運動をすすめていくつもりです。本当は家内と旅行でもしてゆっくりしたいけど、先生方もその日を待っていてくださっているしね。

思えばホテルマン人生のちょうど半分を、腎臓移植者として過ごしてきたことになります。病気にならなければ、海外赴任もあって、これほど多くの方々と長くお付き合いすることはなかったでしょう。本当に環境に恵まれていました。僕の活動を陰ながらずっと支援してくれていた移植仲間が昨年亡くなり、とてもショックでしたが、彼の遺志を継ぐためにも、一人でも多くの腎臓病患者さんを助けたいですね。

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