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患者さんの体験談~一病息災~

第10回

篠原 栄一さん(しのはら えいいち:1953年生、税理士)

 

「18歳で透析生活に。血液透析中のベッドでコツコツ勉強、45歳で税理士の資格を取得しました。透析患者さんには向いている仕事だと思います」

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篠原 栄一さん 53年12月生まれ。
高校1年のとき慢性腎炎と診断され、高3で腎不全に。1ヵ月間の腹膜透析を経て、高校卒業後すぐに血液透析を開始。重篤な貧血症の上、B型肝炎、次いでC型肝炎を患い、10年近く苦しんだ末、簿記学校の受付のアルバイトをしながら簿記1級の資格を取得。
縁あって現在の税理士事務所に就職した後も挑戦を重ね、45歳で税理士に登録。趣味は自己啓発関連の本を読むこと。静かな音楽の流れる喫茶店で集中して読書するのが好きなのは、長年の試験勉強の習慣から。「早起き、計画的な行動、効率的な手帳の使い方。何冊読んでも実行できないところがミソです」(笑)。
苦しかった高校時代 早く透析したかった

高校1年の検尿で慢性腎炎と診断されたのですが、夏休みまではブラスバンド部に入って、わりに元気に過していましたね。でも、夏合宿の後はもうきつくて、1月に検査入院したら腎機能が50%。それからものの2年で腎不全に。入院したのがちょうど72年2月の札幌オリンピックの頃でした。その後、あさま山荘事件を病院のベッドでずっと見て、シャントの手術は卒業式の日。高校の3年間の最後の記憶がそれです。透析前には心臓に水が溜まって1ヵ月間腹膜透析をしました。今日はやけに見舞客が多いなと思っていたら、その頃、母は、危ないから親戚を呼べと何度も言われていたらしい。

でも、実は私自身はそれほど悲壮じゃなかったんですよ。シャントもつけたし、これでラクになるはずだと。というのは、通っていた病院に、4月に透析センターができるまで、食事療法で頑張っていたのですが、そのときのほうがきつかったから。とにかく気持ち悪くて、早く透析にならないかなと思っていました。先生からも、透析を始めると、一生続けることになるが、決して透析で死ぬことはないと言われていたし。私が高校1年のとき、父を亡くしたのですが、そのときの様子を知っている母も、私が死ぬような気はしなかったみたいです。

働きながら学ぶうち、みるみる身体も元気に

でも、その後は挫折の繰り返しでした。ひどい貧血に10年近く悩まされましたし、その上、肝炎も併発して。駅からすぐの病院までタクシーに乗らないとたどり着けなくて、運転手さんに「若いから歩けるだろう」と言われたり。本当は臨床検査技師になりたかったのですが、違う道を進んだほうがいいといわれ、じゃあ、簿記の勉強でもしようかと、恐る恐る学校に通い始めたのが20代後半になってから。

透析施設の近くにアパートを借りて一人暮らしを始め、簿記学校の受付のアルバイトを始めてから、不思議なことに、肝臓の数値も下がってきて、だんだん元気になってきたんです。バイトしながら、とんとん拍子に簿記2級まで資格が取れたし、生涯付き合える友人たちにも巡り合えました。簿記の簿の字も知らなかったのに、1級を取れば税理士の受験資格を得られるところまで進むことができた。この時期が私にとってのターニングポイントだったと思います。

毎年挑戦して念願の税理士に。コツコツできるのは透析患者向き?

ただ、資格があっても、病気の壁は大きかったですね。3度目の挑戦で、ようやく簿記の1級が取れたので、会計事務所に就職しようと探したのですが、10か所以上回っても、やはり透析を理由に断られました。ちょうどその頃、以前バイト先で知り合った人を通じて、現在の事務所を紹介されたんです。31歳のときですね。よく雇ってくれたなと。ただ、それからがまた長かった。働きながら毎年毎年、税理士試験にチャレンジし、2年に1科目のペースで約10年かかりました。試験はほとんどが計算と条文の暗記なんです。8月の受験日に向け、その1ヵ月ほど前から有給休暇を取って勉強する毎日。試験会場は冷房のきいていない暑い部屋でしたので、血圧が下がり透析患者さんにはこたえるんです。

当日は冷凍室で凍らせたタオルを持参し、暑い中、血圧と格闘しながら試験に臨んでいました。4科目合格しても、最後の1科目がなかなか受からないんですよ。そういうジンクスがあるみたいで、皆、顔見知りになっちゃうくらい。けど、案外試験勉強は楽しかったですね。没頭できるというか。たとえば透析している5時間は絶対にベッドにいなくちゃいけないでしょう。その間にひたすら暗記できるわけです。健康な人は自由な分、その習慣がつくれない。それに、一発勝負ではないので、毎年1つか2つずつコツコツ合格科目を積み重ねていける。もしかしたら透析患者さんには向いているかもしれません。

10代の自分を励ましてくれた、多くの人たちのためにも

透析を始めて35年が過ぎました。これだけ長く続けていると、軟骨も磨り減って、頚椎や甲状腺の手術をはじめ、両膝に人工関節を入れるなど、あちこち痛いところも出てきますが、勤務先、透析センター、自宅の距離が近いという好条件もあって、ずっと勤めさせてもらっています。実は、最初の入院のとき、東腎協の発起人の一人である寺田さんという方と偶然同じ病室になったのです。

「透析はお金がかかる。受けられない人もいる。君はその恩恵を受けているんだよ。若いんだから、自立しなくちゃだめだ。必ずよくなるから」と、隣のベッドの私に向かって、弱々しい声だけれど、懇々と諭してくれました。病院のスタッフも、「自分で稼げるようになって、社会に貢献しなさい」と励ましてくれました。それが今の私の原点になっているような気がします。ここまでやってこられたのも、肉親はもちろん、友人、職場、その他たくさんの人たちのおかげです。その恩に報いるためにも、与えられた時間をできる限り有効に使って、これからも精いっぱい前向きに生きていきたいと思っています。

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