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患者さんの体験談~一病息災~

第19回

吉村規男さん(よしむら のりお:1950年生まれ、団体職員)
HD

 

「“病気を持ちつつも生き抜く”という強い気持ちで、“一所懸命”一日一日を積み重ねていきましょう」

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吉村規男さん 1981年、腎臓結石と診断され、手術を受ける。88年、腎ろうを入れるが、92年、血液透析(HD)導入。2004年、早期退職するまで高等学校の数学科教師として勤務。透析導入後から患者会活動に邁進し、現在、全腎協理事として活躍中。京都市在住。家族は夫人と社会人の息子さん夫婦、東京の大学院に通う娘さんの5人。
京都―東京、半々生活も元気に!

まず、吉村さんの1週間をご紹介しましょう。
毎週火曜日早朝、京都市内の自宅を出発し、東京へ。全腎協に出勤。木曜日まで政策委員会の責任者として、企画立案や外部との折衝などの仕事に取り組みます。木曜日の夜に自宅へ。金曜日、午前中は視力障害者センターで数学を教え、午後からはホスピスでボランティア。そして、週末から月曜日は、地元・京腎協ウォーキングの会の取りまとめ役、また移植担当役員として啓発活動の企画や実施に奔走。さらにその間、趣味のオーボエ演奏を先生について習い、その他、大好きなクラシック音楽鑑賞、読書など…。そこに、さらに週3回の血液透析(HD)が加わります。

病気を持たない人でもかなりハードなこの生活。まさに超人的、なのですが、ご本人は「いつの間にか、このようになりまして……」とニコニコ。そのエネルギーと笑顔の秘密はどこにあるのでしょうか?

透析は、社会復帰するための治療
透析治療中の吉村さん。透析中、1時間程度の自転車漕ぎをすることも。

吉村さんと腎臓病とのつきあいは、1981年、腎臓結石と診断されたことから始まります。手術後は順調に仕事を続けていましたが、7年後の88年、全身倦怠感に襲われ、緊急入院。腎ろうを入れることに。約1年間の入院を経てやっと職場に戻ったもののそれもつかの間、4年後の92年10月、極度の体調不良に陥り、ついに透析導入となってしまったのです。最初は腹膜透析(CAPD)でしたが、体の状態から血液透析(HD)に。

当時の気持ちは…。「それはもう、人生真っ暗です。生きてはいるけれど、廃人同様の暮らしになるのだと思い込んでいました」。
半年間の入院を経て93年4月に退院。自宅に近く、透析治療を専門とする桃仁会病院へ通うことになりました。そこでの出会いが吉村さんの人生を大きく変えることになります。通院を始めて間もなく、理事長の小野利彦先生から、「透析は命のためにあるものだけれど、それだけではないのですよ。“透析は、社会復帰するための治療”です。すぐに職場復帰しなさい」と声をかけられました。吉村さんにとっては目からウロコのような言葉でした。「透析治療とは、そういう意味を持つ治療なのか……」。気がつけば、体調も少しずつ良くなっていました。小野理事長の言葉に背中を押され、翌月の5月、晴れて職場復帰を果たしたのです。

学校では、校長をはじめ関係者の配慮で、負担の少ない仕事から時間をかけて体を慣らし、1年程すると、体力もめきめき回復、元気を取り戻していきました。その陰には、家族全員が吉村さんの食事に合わせ、同じ味付けで同じものを、という夫人の献身もありました。病院・職域・家族の協力を得て、吉村さんは見事に甦ったのです。

患者会の仕事とボランティア活動
自宅近くの御香宮神社の祭礼で。地域の行事への参加も大切にしている。

こうして、元気に透析生活を続けていた吉村さん、「根が“しゃべり”なものですから…」、いつしか患者仲間のリーダー的存在に。はじめは病院患者会の班長を委嘱され(94年)、病院を代表して活動するうちに、今度は「京腎協の幹事に」(95年)と請われ、96年には京腎協研修部の副部長に。その働きが高い評価を受けて、2001年、京腎協副会長(総務財政部担当)に就任しました。2004年、勤務していた高校教師を、勤続30周年を期に早期退職すると、翌2005年には、「全腎協理事に」という依頼があり、教師時代よりも多忙な、京都―東京半々生活がスタートしたのです。

 長年、患者会活動に携わってきた実感は、一つには、「患者同士、仲間が大切」ということ。「同じ病気を持った者同士が話をしたり、相談に乗り合ったり、情報交換することは本当に大切です」。もう一つは「社会に対して、当事者が声を上げていくことの重要性」です。「一般の方は、間違った情報をうのみにしていることもあります。患者自身が声に出して訴えていくべきなのです」と、患者会の意義を熱く語ります。

一方、患者会活動とは違った意味で大切にしていることがあります。それは、ホスピスでのボランティア。実は早期退職の理由には、「ホスピスでボランティアをさせてもらいたい」という強い希望がありました。「以前から人間の生と死に関心があり、話に聞いて、『ぜひに』と思いました。活動の内容は喫茶店のマスターのように、患者さんやそのご家族に、コーヒーやお茶を淹れて差し上げることなのですが、その一杯は患者さんが人生で口にされる最後のコーヒーかも知れないのです。丁寧に心を込めて淹れさせていただくと、こちらの心もピュアになれます。その体験は何者にも代えがたいものがあります。当時、体調がどうということはありませんでしたが、気持ち的に教師を定年退職してからでは遅い、と判断しました」。

人生は無限

患者会、ボランティア、視障センターでの教師……、一人でいくつものことに取り組むその原動力は、「腎不全には、透析や移植といった治療法がある。自分たちは生かされている」という深い思いから。「一病息災と言いますが、今は腎臓病で幸せだったかな? と思います。しかし、その分、何かお役に立てることをしていきたいし、していかなくてはと考えています」。

最後に同じ患者さんへのメッセージを――。「数学的考え方なのですが、人生は幅を持ったもので計ると有限ですが、点で考えれば無限の広がりがあります。その時その時を“一所懸命”やっていけば人生は無限であると信じて、これからもいろいろなことにチャレンジしていきたいと思います。皆さんも、“病気を持ちつつも生き抜く”という強い気持ちを持って、一緒に“一所懸命”一日一日を積み重ねていきましょう」。

夫人と、ベルギー、ブリュッセルの小便小僧前で。

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