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患者さんの体験談~一病息災~

腎臓病と共にイキイキと暮らす方々に、腎臓サポート協会理事長 松村満美子がインタビュー
(職業や治療法は、取材当時のものです)

第66回

中村 龍史さん(なかむら りょうじ:1951年生まれ、演出家、振付師)
PD→HD

 


マッスルミュージカルの演出家は、透析しながら飛び跳ねていた。
本の出版と同時に公表、周囲に透析を悟られず15年!!

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1951年生まれ。劇団四季研究所を経て役者に。81年、コンサートの構成・演出・振りつけを手掛ける演出家としてデビュー。松任谷由実をはじめ多くの歌手の公演のほか、国体から演劇の作・演出、特にマッスルミュージカル(運動選手を使ってのパフォーマンス)は、国内外公演を成功させ、観客に明日への活力と笑いを届けている。
遺伝性の多発性嚢胞腎がもとで1997年に腹膜透析を導入、その後HDに移行。透析歴15年。
一流エンターテイナーを育て、日本のオリジナルを世界に発信したい
マッスル(筋肉)ミュージカルの演出家として知られる中村龍史さんが、透析をしていたなんて?!多発性嚢胞腎で透析を導入してからも、国体の開会式や芝居・ミュージカルの演出など奥様と二人三脚で、多忙な仕事をこなしてきました。その悪戦苦闘ぶりを伺いました。

 

15年間、透析を知らせずに仕事を
松村 9月に著書「満身ソウイ工夫」を出版され、初めて透析していることを公表されたんですね。
中村 ええ、透析しながら演出家として働いてきた、自伝みたいなものなので。
松村 腹膜透析のチューブがお腹から出ているご自分をチューブマンといったり、笑いが散りばめられていますね。
中村 ただの闘病記にはしたくなかったんです。演出家というのは人を元気にするのが仕事なので、悪戦苦闘している姿を、あまり苦しそうじゃなく、同じ病気の人が、「あっ、こんな馬鹿なヤツもいるんだ!」と、笑って、元気を出してくれるといいと思って。
松村 透析をしていることは、舞台関係者の方もこの本で初めて知ったそうですね。
中村 そうなんです。いつも元気で怒鳴って演出しているので、「透析なんて大変」というイメージを持たれるのが嫌で。余計なことをみんなに感じさせたくなかったんですね。
松村 それがどうして?
中村 昨年還暦を迎え、今年は透析を始めて15年なので、そろそろいいかなと思って。
松村 ずっと奥様と二人三脚で?
中村
ええ、彼女は脚本家で、ずっと一緒に仕事をしてきたので。20代のころから40年近く、食事療法のことも、全部お任せです。 「龍史くん」「留美ちゃん」と、いつまでも微笑ましく「龍史くん」「留美ちゃん」と、いつまでも微笑ましく
松村 支えられているのがよく分かりますよ。本当にかけがえのないパートナーなんですね。
九死に一生を得て、新たな境地が開ける
松村 透析を始められたのは?
中村 1997年の12月です。12年間はAPD(寝ている間に器械を使って自動的におこなう腹膜透析)で、2009年秋からHD(血液透析)、合わせて15年になります。 練習中にチューブがお腹の下まで降りてきて慌てたこともありました練習中にチューブがお腹の下まで降りてきて慌てたこともありました
松村 もともとのご病気は?
中村 多発性嚢胞腎で、遺伝です。親父も透析をしていて、お袋も同じ病気で。叔父二人、叔母一人が透析。姉も透析歴32年と、透析一家なんです。
松村 では、透析になることは覚悟してらしたんですね。
中村 そうですね。20代後半に、その頃は役者をしていましたが、クレアチニンが1.7になって、ああ、やっぱり俺もダメなんだと思いました。
松村 最初にAPDにしたのは?
中村 僕の仕事は舞台の演出で、場所も時間も不規則なので、自宅でできる腹膜透析を選びました。APDが出たばかりで、迷わずAPDにしました。
松村 毎晩、何時間ぐらい?
中村 最初は7時間くらいでしたけど、僕の仕事は体力を使いますから、楽に仕事ができるように、13時間に変えました。
松村 腹膜炎とかトラブルが起きたことはなかったですか?
中村 腹膜炎はないですけど、一度、ニューヨークで倒れたことがあります。
松村 いつですか?
中村 2000年の夏。僕は毎年ニューヨークに行って、本場のミュージカルを観たり、友達に会うのですが、
松村 お仕事柄ですね。
中村 ええ、その頃はすごく忙しく、血圧も高かったんですけど、どうしても行きたくて、無理して行ったんです。そしたら、向こうはすごく寒くて、
松村 夏なのに?
中村 劇場の冷房が。それで風邪をひいて、目がフラッシュするみたいにかすんできたんです。
松村 血圧が上がりすぎて、視神経を圧迫したんですね。
中村 意識が無くなり、ER(救命救急室)に担ぎ込まれました。目が覚めたときは、まるっきり目が見えなくなって。
松村 そのとき、奥様は?
中村 僕があんまりイライラしてたからでしょうか、本を読んでくれたんです。そしたら、すごく心が安らいで……朗読の力ってすごいですね。
松村 それで朗読劇「天国の本屋」の演出をなさったんですか?
中村 偶然なんですが、帰国してすぐにいただいた仕事でした。不思議な縁を感じました。それ以来、仕事の仕方も、面白いだけでなく、丁寧にするようになりましたね。
超多忙な日々を長時間APDで頑張った
松村 マッスル・ミュージカルはその後ですか?
中村 そうです。
松村 舞台を拝見して、ビックリしました、激しくて。これ透析している方のかしらって。しかもすごく忙しかったでしょう?
中村
そうですね。年間300公演くらい。しかも春夏秋冬と演目を変えて、6年間で30公演の構成・振り付け、演出をしました。日本初のラスベガス公演も成功させましたから、忙しかったですね。 「龍史さんに、負けていられない」と、練習場は熱気あふれる 「龍史さんに、負けていられない」と、練習場は熱気あふれる
松村 それでAPDは毎日13時間、きちんとできたのですか?
中村 無理矢理でも、13時間は確保しました。だから何とか保ったんですね、あれだけ激しい動きをしても。
家庭透析を導入して若い人を育てたい
松村 APDは何年くらい?
中村 12年もちました。2010年からHDに変え、今はクリニックで週3回4時間しています。
松村 HDに変えてどうでしたか?
中村 最初は順調でしたけど、そのうち血圧が下がって、安定するまで大変でした。
松村 しかもすごいペースでお仕事してますよね。初めて劇団も立ち上げられたとか?
中村 2008年にマッスルを辞めたんですが、20人くらいのメンバーがついてきちゃったので。
松村 中村さんを慕って?
中村 さあ? 給料を払えるわけじゃないので、バイトをしてでも頑張りたいという人だけが残り、今は11人になりました。
松村 奥様はなんと?
中村 「アスリートとして一流なだけでは、年をとったら困る。1人前の役者に育てなくては」、といっています。
松村 そうですね、それで成果は出てますか?
中村 歌が歌え、楽器ができて、動ける役者を目指しています。今5年目で、やっと少しできてきたかなって感じですね。
松村 そのうち引っ張りだこになるんじゃないですか?
中村 そうなってくれないと困るんですけどね。一流のエンターテイナーを育てて、日本のオリジナルを次々と世界に発信するのが夢なんです。
松村 まだまだ、これからも透析との両立は大変ですね。
中村 ええ、それで今は家庭透析を検討しています、毎日好きな時間に透析できるように。「中村JAPANドラマティックカンパニー」はこれからですから。
 『満身ソウイ工夫 頑張りすぎない人工透析との闘い方』(光文社) 『満身ソウイ工夫』
頑張りすぎない人工透析との闘い方
光文社
定価:1,050円
※本の問いあわせ先:オフィスひらめ TEL:03(3439)3623

 

インタビューを終えて
8年越しに実現したインタビュー。ご夫妻の人柄を慕って、若者たちがアルバイトをしながら練習に励んでいるのもうなずけます。「運動選手の職業の選択肢の一つとして、動けて、歌えて、楽器ができ、演技ができる実力派エンターテイナーを育てている」と奥様。先日は久しぶりに舞台を拝見しましたが、その質の高さと楽しさに小気味よささえ感じました。素敵な大勢の若者に慕われ、お幸せ。未来のスターたち、頑張れ!
 

 

 

 

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