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患者さんの体験談~一病息災~

腎臓病と共にイキイキと暮らす方々に、腎臓サポート協会理事長 松村満美子がインタビュー
(職業や治療法は、取材当時のものです)

第67回

小林 史知さん(こばやし ふみとも:1973年生まれ、シェフ)
HD→PD

 


緊急血液透析導入後1ヶ月でPDに。
退院したその日から厨房に立つ、根っからの料理人

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1973年生まれ。39歳。双子の兄と一緒に小学校・中学・高校と続けていた柔道で国体出場。その後、家業を継いでステーキ&ワイン・レストラン「存じやす」のシェフを勤め18年。2012年8月緊急入院で透析導入。退院後、PDでシェフ業と透析療法を両立。二人のお子さんのパパ。
透析を受けている人と、家族も友達も
みんなでテーブルを囲む、そんな店を作りたい
お父様が経営するステーキ&ワイン・レストランのシェフ、小林史知さんは、柔道の選手としてかつて国体に出場したこともあり、体力には自信がありました。それが緊急での透析導入に。料理人と食事療法の両立は?透析を導入して間もない小林さんをお店にお訪ねし、病気になったことで以前より前向きになったというお話なども伺いました。

 

腹膜透析(PD)で仕事と両立が可能に
松村 緊急で透析導入になられたそうですね。
小林 そうなんです。去年の8月末ですけど、体が異様におかしくて、夏ばてかと思って病院に行ったらクレアチニンが21で即入院。
松村 クレアチニンが21!聞いたことないですよ。それまで自覚症状はなかったんですか?
小林 もともと高血圧で、5年くらいずっと体調は悪かったんです。クレアチニンは1を超えていたんですけど、柔道をやっていたので体が大きく筋肉質だからだと、あまり気にしてませんでした。それが疲れがとれなくて、食事は食べられないし、水も飲めなくなって、夜も眠れない、自分の体が壊れていく感じで・・・・
松村 PDを選んだのはどうして?
小林 獨協医科大学病院で緊急透析をしていただいたのですが、その後入院中に、透析についていろいろと説明を受け、PDという方法があるのを知りました。僕はレストランをやっているので仕事中心の生活をしています。それで仕事の時間やスタイルに合わせてでき、食事制限も緩いというPDにしました。
松村 どんな時間割でPDをやっておられるのですか?
小林
朝起きて7時半頃、昼のランチが終わった2時半くらい、夜はディナーの忙しい時間が終わる8時半頃、それから帰宅して寝る前の12時頃で、1日4回透析液の交換をしています。ちょうど生活のスタイルにあっているんです。 トレードマークの帽子とエプロン姿で、お店の玄関でトレードマークの帽子とエプロン姿で、お店の玄関で
病気になってからの方がポジティブになった
松村 入院しているあいだは、お仕事はどうしていたのですか?
小林
双子の兄と一緒に仕事をしているので、兄がやってくれました。でもその兄もその後に透析導入になって、今入院しています。 料理の話しもでて楽しいひとときを料理の話しもでて楽しいひとときを
松村 双子のご兄弟がお二人とも?遺伝ですか?
小林 いいえ、父も母もそんなことないです。実は、僕は去年の6月には体重が110キロあったんです。今は80キロぐらいですが。兄も柔道をやっていて僕より一回り体が大きく140キロぐらいありました。二人とも食べる量も酒の量もハンパじゃなかったですから、それが関係しているのかもしれません。
松村 緊急入院して、どうでしたか?
小林 透析って聞かされて、これから先自分には何ができるんだろうかとか、このまま自分は終わっちゃうんじゃないかとか、病室の天井を見つめて考えていました。
松村 そこから立ち直れたのは何か?
小林 考えれば考えるほど闇に入っていくので、もう開き直って、何も考えないで、休めるだけ休もうと決めたんです。
松村 どのくらいでそう思うようになれたんですか?
小林 3日くらいですね。
松村 たった3日で。日頃からポジティブに考えるほうですか?
小林 いや、病気になってからのほうが、かなりポジティブですね。
松村 というのは?
小林 自分に残された時間について考えるようになったんです。事故で死んでも、病気で死んでも一緒だとは思うんですが、自分にはあとどのくらいの時間が残されているというのが具体的になって。今までは、何でも自分でやってきたつもりでいたんですが、どれだけ回りに支えられてきたか、入院して初めて気がつきました。それでこれからは自分にできないことは考えない、できることをやろうと思うようになったんです。
人のために調理することで、食べたい気持ちを解消
松村 透析を導入してから、体調がよくなったとか、安定しないとか、違いはありますか?
小林 あります。透析をやることによってこんなに体が充実して、心身ともに働ける自分っていうのがすごく嬉しくて。一番心配だったのは、どのくらい仕事に復帰できるか、どのくらい動けるかということだったのですが、正直、まったく問題はなかったです。退院したその日から仕事をしていました。
松村 もともと体力があるからできたんでしょうね。
小林 そうだと思います。逆に大事をとって休んでいたら、体も心も腐ってしまうような気がするんです。体が動かせて、自分が人のために何かできるのが、すごく嬉しいです。
松村 ご自分の食事療法と料理人との両立は大丈夫ですか?
小林 一日に食べる量を決めて、それしか冷蔵庫に入れないし、調理もしないんです。店に来ればいくらでも食べ物はあるんですけど、自分の分はタッパーに入れて、あとは人のものと思っています。
松村 葛藤はないですか?
小林 それが不思議なもので、人に作ることで解消しているところがあるんです。食べたいものをイメージしながら作ると、それで結構満足できちゃう。
松村 味見はどうしてます?
小林 味見した後は、全部出して、うがいをしてます。この間の検査では、ナトリウムもカリウムも少なすぎるからもっと摂るようにいわれました。
松村 PDの場合は、そこまでしなくてもいいのではないですか?
小林
そうなんですけど、規定の量まで食べるのが自分には難しいです。控えることはいくらでもできるんですけど。でも将来HDに移行するにしても、今から厳しくしておけばいいかなと思っています。 毎日の食事を書き出して、食事管理はきちんと。毎日の食事を書き出して、食事管理はきちんと。
松村 毎日、どんなものを食べているのですか?
小林 基本的には野菜のおひたしと肉か魚をさっと茹でたものですね。昨日は子供たちをつれて寿司屋に行ったのですが、醤油をつけないで刺身を食べていると、マグロはマグロの味、鯛は鯛の味、ヒラメはヒラメの味がして、それぞれの味が美味しいんです。食事療法を始めてから、料理人としてかえって舌が繊細になったような気がします。
松村 お客様にお出しするお料理にも変化はありますか?
小林 ナチュラルになってきました。以前はいろいろなものを組み合わせて作ろうとしていたのですが、よりナチュラルにを心がけています。
松村 素材の味を活かしたお料理ですね。
小林 ええ、それと兄とも話しているのですが、透析をしている人が、家族や友達と一緒に来られるレストランをやれたらいいねって。
松村 それはステキですね。
小林 病気の人でも、そうでない人でも、食事って生きる楽しみだし、夢があったほうがいいですよね。そんな料理を提供できる店にしたいです。
松村 そうですか、健常者と一緒にテーブルが囲めるレストラン、楽しみですね。

 

インタビューを終えて
まさか透析になるなんて考えてもみず、少し離れたところに家を建てられたため、今はレストランの近くのご実家から通っておられるとのこと。奥様やお子さんとはしょっちゅう行き来はしていても、早く一緒に住めると良いですね。
それにしても、クレアチニン21の状態で自分で病院へ行けたなんて、普通の人ではとても考えられませんね。その我慢強さにはびっくりしました。やはり柔道で鍛えていたからできたことでしょうか。
 

 

 

 

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