体験談 / 一病息災 Vol.135(2026年1月号)
腎臓病と共にイキイキと暮らす方々に、腎臓サポート協会理事長 雁瀬美佐がインタビュー
(職業や治療法は、取材当時のものです *敬称略)
(職業や治療法は、取材当時のものです *敬称略)
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新野 景子 さん(にいの けいこ)

夫婦二人三脚で乗り越えた腎疾患。
一緒にゴルフ、が最高の楽しみ
景子さんは夫・謙司さんのバングラデシュ駐在に帯同し、過労から腎臓病を発症。30年後に1年間の血液透析を経て、夫からの腎臓移植。今は、緩やかな時間を過ごしながらも一緒にゴルフを楽しむご夫妻です。夫婦で手を取り合って乗り越えてきた腎臓病との長い軌跡をお伺いしました。
聞き手:雁瀬 美佐(腎臓サポート協会)
| 年齢(西暦) | 病歴・治療歴 |
|---|---|
| 1950年生まれ | |
| 31歳(1981年) | 血尿が出て受診。IgA腎症と診断される |
| 32歳(1982年) | 腎生検(1回目) |
| 44歳(1993年) | 腎生検(2回目) |
| 60歳(2010年) | 人工透析を開始(血液透析) |
| 61歳(2011年) | 夫から妻へ腎臓移植手術 |
| 75歳(2025年) | 現在、移植後14年が経過し、夫婦共に腎機能は安定 |
赴任先のバングラデシュで発病
| 雁瀬 | 奥様に腎疾患が見つかった経緯をお話しいただけますか。 |
| 謙司 | 1980年、バングラデシュ日本大使館の一等書記官として赴任しないかという話がありました。当時私は32歳、妻は30歳、子どもはまだ1歳と2歳でした。バングラデシュは衛生環境が悪く、伝染病や自然災害が多いなど、安全とは言えない国なので、最初は断るつもりでしたが、迷った末に赴任することにしました。1981年4月に赴任すると、1カ月半後には大統領暗殺によるクーデターが発生し、在留邦人全員の安否確認を電報で送るなど緊迫した状況でした。使用人は4~5人いましたが、イスラム教の国なので、すべて男性でした。日本的な衛生観念の徹底にはかなり気を遣いました。高温多湿の不慣れな自然条件も堪えたようです。赴任前からの疲労と現地の厳しい生活が重なり、妻は体調を崩してしまいました。 |
| 景子 | 赴任して3カ月目に38.5度以上の高熱が3日ほど続き倒れてしまい、真っ赤な血尿も出てとても驚きました。もちろん現地にはかかりつけ医がいないため、取り急ぎ日本人の医師を探しました。 |
| 謙司 | ちょうど日本からJICA(独立行政法人 国際協力機構)の派遣専門家として来ていた医師に診てもらい、血液検査などを受けることができました。 |
| 景子 | 幸いすぐに悪化する病気ではないとの診断で「一時帰国した時にはきちんと検査をするように」と言われました。半年後の帰国時に受診したところ、IgA腎症と診断されたのです。「腎機能がゆっくり落ちていくかもしれない」「将来は透析の可能性もある」と言われましたが、当時は全くイメージできませんでした。 |
| 雁瀬 | 食事や生活指導はありましたか。 |
| 景子 | 「疲れすぎないように」「冷やさないように」「激しい運動は控えるように」という程度です。だるさはありましたが、日常生活には大きな支障はありませんでした。 |
| 謙司 | あの頃はまだ元気でした。私が現地の専属キャディを雇い本格的にゴルフ練習を始めたことから、妻もゴルフをやるようになりました。むしろ妻の方が私より上達し、ゴルフ場公式コンペで優勝することもあったくらいなんです。 |
ナラヤンガンジ・ナリシンジ潅漑施設のポンプ場建設現場を家族で見学(1983年4月)
1984年春、第一回 Japan CupのLadiesの部で景子さんが初優勝、小林大使からカップ授与
30年の保存期を経て透析・移植へ
| 雁瀬 | 透析が必要になったのはいつ頃ですか。 |
| 謙司 | 3年の海外赴任を終え帰国後も、時々検査を受けながら普通の生活をしていました。ただ、診断から約30年後、妻が59歳の頃、急激に悪化してきたのです。 |
| 景子 | 本当に「坂道を転がり落ちるように」悪くなっていきました。透析の1年くらい前から足や顔がむくみ、靴が入らないほどに…。階段もうまく上れず、歩くのもつらい状態でした。体のだるさも増し、日常生活がとても大変になっていったのを覚えています。 |
| 雁瀬 | 最初の腎代替療法は血液透析を選ばれたのですね。 |
| 景子 | 腹膜透析も選択肢として説明されましたが、家で毎日おこなうより医療機関に通院する方が安心だと思い、通院血液透析を選択しました。でも、毎回3時間じっとしているのがつらく、時には痛みを感じました。私は血管が少し膨らむ程度でしたが、周りの方はシャントで腕がボコボコになっていたり、水分制限も非常に厳しく、尿量が無い方は氷をなめて喉の乾きを我慢していると聞きました。「長く続けるとこうなるのか…」と強く不安を感じていました。 |
| 雁瀬 | 移植を考え始めたのには、なにかきっかけがありましたか。 |
| 景子 | 通院していた施設の看護師さんから「生体移植を受けた方がいる」と聞き、私もできるのか尋ねました。医師からは「条件が合えば可能」と言われ、夫にも相談しました。 |
| 謙司 | 移植の話は、透析をしばらく続けた後に聞いた記憶があります。週3日とはいえ、血液透析は心身共に負担が大きい上に厳しい食事制限もあり、家族の生活も制約されていました。「これをずっと続けるのは大変だ」と実感していたので、妻から相談を受けた時には「そんなことでいいなら、すぐにでも協力したい」と申し出ました。移植に関する検査では、幸いにも虫歯の治療が必要と言われたくらいで特に大きな問題はなく、腎臓の提供は可能との診断でした。 |
| 雁瀬 | 生体移植はおふたりが同時に手術をしなくてはいけませんが、不安はありませんでしたか。 |
| 景子 | 子どもたちも手を離れていたので、不安はありませんでした。午前9時に手術が始まり、手術初期にちょっとしたトラブルもあったようですが、麻酔から意識が戻ったのは午後9時頃。目が覚めた時、看護師さんが名前や住所を聞いてきたのですが、それは術中のトラブルで脳に障害が残っていないかの確認だったと後で知り、とても驚きました。 |
| 謙司 | 私も全身麻酔で、気づいたら終わっていた感じです。妻の移植初期のトラブルも脳部門の医療チームの協力と適切な対応により大事には至らなかったようで、総合病院ならではの手厚いサポート体制に感謝しています。術後は、ベッドから起き上がるのが大変、くしゃみができないなど多少の不自由さがあった程度です。 |
二人で取り戻した平穏な生活
| 雁瀬 | とてもお元気そうですが、現在の生活はいかがですか。 |
| 景子 | 移植後は普通の生活ができるようになりました。免疫抑制剤を1日1回8錠、他の薬とともに服用していますが、水分制限もなく、旅行や趣味も楽しめています。透析生活の制約を経験したからこそ、移植の価値を強く感じます。友人に「腎臓移植している」と話すと「そんなに元気なのに?」と驚かれます(笑)。現在も月1回、腎臓外科に通い、主治医の先生にも3カ月に1回診ていただいています。移植から14年、75歳になった今も腎臓に特に問題は出ていません。 |
| 謙司 | 移植後、また一緒にゴルフを楽しめるようになり、月に1~2回はゴルフコースにも出ています。私も毎年人間ドックを受け、少しでも気になる症状があると精密検査を受けているので、心配はしていません。腎臓は一つになっていますが、腎機能は安定しています。透析と移植手術を経て、今、とても穏やかに暮らせています。 |
ゴルフコースで一緒にプレイ
| 雁瀬 | 最後にメッセージをお願いできますか。 |
| 景子 | 移植できてよかったと夫には心から感謝しています。制約の多い生活から解放される方法があることを、もっと多くの人に知ってほしいです。 |
| 謙司 | 移植手術の後に、看護師さんから「ご主人がドナーになるケースは珍しい」と聞かされたことを覚えています。不思議に思いました。病気は家族の問題です。移植によって助かるのは妻だけではなく、私も救われました。移植は、家族全体の生活の質を向上させるのです。同じものを美味しくいただき、楽しいことを一緒にする。私たちは移植で普通の生活を取り戻しました。移植を選択できる状況にありながら迷っている方に、私たちの選択が参考になれば嬉しいです。 |
インタビューを終えて
言われなければわからないほど、お元気で溌剌としていらっしゃるご夫妻。お互いの負担や苦労を理解し、最善の選択をして、迷いなく悔いなく、今を明るく謳歌されています。おふたりで共に過ごされる時間が多い夫婦間移植の良さをあらためて実感しました。
雁瀬美佐

