心に残る患者さん ~ドクターズエッセイ~Vol.135(2026年1月号)

ドクターが忘れがたい患者さんについて語るリレーエッセイ。
(先生の肩書は掲載当時のものです)

心に残る患者さん ~ドクターズエッセイ~Vol.135(2026年1月号)

湯村 和子 先生 (ゆむら わこ)

東北医科薬科大学病院
腎臓・高血圧内科 
臨床教授

腎疾患診療への思いと共に

 私が腎臓内科医になったのは、大学の授業では腎臓の病気がよくわからなかったという単純な動機でした。ただパワフルで未知なる臓器を学んでみたいと感じたのが始まりでした。

 腎臓内科医になった頃は、我が国で血液・腹膜透析が始まった頃でしたので、患者さんに代替療法を勧め無事に透析治療を実施するのが精いっぱいでした。盲目的腎生検も恐る恐るやっていて、腎生検を実施する医師も必死でした。膠原病のループス腎炎(膠原病全身性エリテマトーデスの腎障害)のネフローゼ症候群で重症のびまん性ループス腎炎では、ステロイド薬投与だけでは、寛解になることはなく末期腎不全で透析療法になっていました。

 宇都宮近郊出身だった患者さんが、私が自治医科大学病院に赴任したのを機に、東京から引っ越して近郊のクリニックで透析療法を受けられていました。数年たったある時、消化管出血、高カリウム血症もあり入院してこられましたが、夜中亡くなってしまいました。私は自宅に伺い、最期に会うことができました。そばにいらしたご主人から「妻は、『先生は戦友だった』とよく言っていました」とお聞きし、胸がいっぱいになりました。患者さんの命を救うことはできませんでしたが、患者さんと共に病気と戦えたことは医師としての「冥利に尽きる思い」を感じたことを覚えています。同じ病名であっても、一人ひとりの患者さんにとっての最新で最適な医療をしていきたいと強く思うようになりました。患者さんが病気を持ちながらも人生を少しでも豊かに送れるよう一生懸命診察することを心がけました。

 その後、難治性血管炎の患者さんとも出会いました。一時的には社会復帰もできましたが、その後白血病で亡くなりました。重症の血管炎で、他の大学病院で診断がつかず、間接的に知り合いの医師から紹介されてストレッチャーで転院してきました。重症なので奥様はつきっきりでした。ほぼ毎日治療方針などを説明して、退院までこぎつけましたが、亡くなられた後、奥様から「どうか、いい先生を育ててください」と頼まれました。私が診察できる患者さんは限られるので、最新の知識をもって患者さんに寄り添える次世代医師を育てていこうと思うようになりました。そして、一般社団法人腎臓血管加齢医療研究機構を設立し、講演会などを開催するようにしましたが、参加者も限られるようになりジリ貧でした。またコロナウイルス感染拡大ですべての活動ができなくなり、機構の閉鎖も考えましたが、今では、学会や研究会もWeb開催されるようになり、医療現場を支える忙しい医師にも普通に受け入れられ、学ぶ機会も増えました。機構でもWebセミナーを開始、ホームページ上の学術誌ROKiVA-Letterも発刊するようになりました。実際よく経験する疾患の、このような活動が、実臨床の診断治療に役立つことを願いつつ、これからも臨床現場に携わりながら共に腎臓病学を学んで発信していくことが私の希望であり使命と考えています。

一般社団法人腎臓血管加齢医療研究機構

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