心に残る患者さん ~ドクターズエッセイ~Vol.95(2017年10月号)

ドクターが忘れがたい患者さんについて語るリレーエッセイ。
(先生の肩書は掲載当時のものです)

小松 康宏 先生   

聖路加国際病院
副院長・腎臓内科部長

血液透析を腹膜透析に変えて、穏やかな日々を過ごす

 10数年前のことである。他院から転院してきた外来血液透析の患者さんにHさんという、60代後半の方がいた。寿司屋を経営し、かつては親方としても活躍していたそうだが、透析を開始してから体力がなくなり、部下にまかせているとのことだった。糖尿病のため目はほとんどみえず、顔色も悪く、つねに不機嫌そうな表情をされていた。それほど体重増加が多いわけではないのに、4時間透析の後半には血圧が下がり、早めに透析を終了せざるをえないこともまれではなかった。

 あるとき、奥様から、「うちの主人も腹膜透析ができるでしょうか?」と尋ねられた。待合室に掲示している腹膜透析のポスターをみて、体にやさしい透析ならそちらに変更できないだろうかとの相談だった。

 透析導入前には、透析療法の選択肢に血液透析と腹膜透析の2つがあること、どちらの治療法も選択できるので、各自の生活スタイルや好みを考慮して選択できるとお話しするようにしていた。また腹膜透析の利点として、残存腎機能が保持される期間が長い傾向があり、自分のペースで治療ができ、通院も月1、2回でよいこと、自ら積極的に治療に取り組むので、長期的な健康管理の見地からも望ましいことなどもお伝えするようにしていた。

 ところが、いったん血液透析を始めると、腹膜透析という治療選択についてあらためて提示することはなかった。Hさんは、他の病院で透析を開始した際に、腹膜透析については説明されなかったという。

 相談されて私自身大いに恥じ入った。仕事の面でも、身体への負担でも、この患者さんには腹膜透析のほうが適している。残存腎機能は廃絶しているが、残存腎機能がなければ腹膜透析ができないわけではない。無尿の患者さんでも、腹膜透析で長期間元気に過ごされている方は大勢いる。自明のことなのだが、数年来血液透析を続けていたので、腹膜透析に変更することができるという選択肢をこちらから提示していなかった。

 早速、Hさんとお話しし、腹膜透析に変更することとなった。その後のHさんの体調変化は目覚ましかった。週3回、つらい4時間を過ごし、帰宅後は疲れてほとんど床に伏している。翌日には体力が回復するものの、午後には翌日の透析のことを考えて頭が重くなる。そういった状態から一変し、毎日安定した状態で自宅で過ごすことができるようになった。仕事場をのぞきに行ったり、温泉旅行にも行くようになった。奥様がもっとも喜ばれたのは、表情が変わったことだという。透析を始める前は優しい夫だったのが、透析開始後は「仁王のような」顔つきになって口数も減っていたのが、腹膜透析に替えてから、「仏様のような」柔らかな表情になり、「視力も回復してきたようです」といわれた。

 Hさんはその後数年して他界されたが、奥様は毎年1回、透析室にご挨拶にきてくれた。血液透析が適している患者さんもいれば、腹膜透析が適している患者さんもいる。いかにして患者さんに適した腎代替療法を選択するか、また、ある治療法を選択しても、その後の変更の可能性も常に念頭におかなくてはならないことを医療者として強く感じさせてくれた患者さんの思い出である。

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