心に残る患者さん ~ドクターズエッセイ~Vol.96(2017年12月号)

ドクターが忘れがたい患者さんについて語るリレーエッセイ。
(先生の肩書は掲載当時のものです)

山縣 邦弘 先生   

筑波大学
医学医療系腎臓内科学 教授

ひとりの医師としての進歩の影に患者さんあり

 筑波大学附属病院での内科研修、腎臓内科研修を終えて、茨城県の北部にある日立製作所日立総合病院に就職しました。大学卒業後7年目のことです。それまでは患者さん達とも入院期間中の付き合いに限られ、一般病院をローテート中に外来透析の患者さん達と接する機会はありましたが、短期間の派遣ではなく本格的に外来透析の患者さん達とのお付き合いが始まったのはこのときからです。

 日立総合病院は茨城県で最も歴史のある透析施設の一つであり、直前まで部長をされていた山形陽先生は、私と35歳以上差のある大ベテランの先生で、山形先生とはわずか1週間の引き継ぎのあと、一人医長としての勤務が始まりました。患者さんはじめ、職員の方までも漢字こそ違え同姓のため、若い息子さんが後を継がれたと勘違いもされました。しかし一人医長としての忙しさは想像を絶するものでした。その中で山形先生の残された患者カルテには詳細かつ的確な考察が記載され、これまで読んだ教科書などには比較できないすばらしいもので、過去の入院患者、外来患者のカルテを読み込むことで多くを学び、私の臨床の礎となったことは間違いありません。

 そのような中で透析室の外来透析患者さんたちも、私の医師としての経験よりも長い期間透析を継続されて来た患者さんがほとんどで、長期透析患者の管理など全くの手探りの私に対し、透析患者さんにとって不安も多大なものであったことは容易に想像されます。

 中でもKさんは出征後、帰還。事業を興されるも、慢性腎不全に罹患し都内の大学病院で腹膜透析を施行され、当院での血液透析が開始になると同時に転院。以後血液透析を継続され、私が知り合ったときすでに20年以上の透析歴があり、当院の最長透析経験者でした。回診で「お加減如何ですか?」と私に問われ、「・・・・・。大丈夫」。この様な回診が1年くらい続いた頃でしょうか、ある日回診中に「先生、私が死んだら私を解剖して研究に役立てて下さい。」と唐突に言われました。超ベテランの患者から見ると頼りない医師でしか無かった私にかけた、そして初めてに近い会話でした。透析創生期から生き抜いた患者さんの言葉であり、その後も呼吸器感染症などで数回の入院がありましたが、その後、ご本人はその意志を貫かれ剖検を受けられました。

 私は患者さんが亡くなった翌年に大学に戻りました。そしてこれまでに研修医たちと多くの患者さん達の看取りの現場にも立ち会いました。看取りの後に解剖の説明は全例行ってきました。もちろん解剖をお断りになる患者さんのご家族もおられますが、ご承諾になる方も多くおられます。こんなときに、受け持ち医である後輩に伝える言葉があります。「患者さんやご家族の方はあなたを信頼してくれたからこそ、解剖を受け入れてくれた。あなた自身の医師としてのあなたの医学の進歩のために解剖を受け入れてくれたのであり、そのことも肝に銘じて解剖に立ち会って下さい」。

 久しぶりにKさんの剖検報告書のコピーを手元に置いて見直しております。患者さんは私に何を言いたかったのだろうか?これが患者さんの本意であったのかはわかりません。ただ間違いなく言えることは、我々医療従事者は患者さんに育てられているということです。

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