心に残る患者さん ~ドクターズエッセイ~Vol.99(2018年6月号)

ドクターが忘れがたい患者さんについて語るリレーエッセイ。
(先生の肩書は掲載当時のものです)

木村 健二郎 先生   

JCHO 東京高輪病院 院長

進歩した医療!以前の患者さんはどうなっただろう?

 医師となってすでに44年経つが、未だに忘れられない透析患者さんがいる。卒後2年間の研修を東大病院でおこなったあと、獨協医科大学の循環器内科(八木繁助教授、後に教授)へ国内留学をした。東大第二内科の腎臓高血圧研究班に入ることを決めていたが、その研究室の石井當男講師(その後、助教授を経て横浜市大第二内科教授)の命令で腎臓疾患の臨床の研鑽を積むためであった。獨協医科大学病院では腎臓の臨床は循環器内科でおこなっており透析室も担当していた。私は透析室の助手という身分で1年間獨協医科大学に籍をおいた。

 透析患者さんの数は今でこそ33万人近くなるが、私が獨協医科大学病院へ出向していた昭和52年当時はまだ2万人程度であった。私が研修をおこなった東大病院には透析室はなく、透析治療が必要になると個人用の透析装置を病室に持ち込んで治療をおこなっていた。したがって、透析治療の経験はほとんどなく、本当に自分はやっていけるのだろうか、という不安があった。実際、穿刺はあまりうまくいかず、患者さんには避けられる始末であった。しかし、そのうち、馴れてきて穿刺にも自信がついてくると、患者さんも信頼してくれるようになってきた。

 そのような中で、20代前半の若い女性患者さんのことが気になっていた。この患者さんは貧血が強く、いつも倦怠感を訴えていた。何も仕事もせず家にいて透析の時以外は外出もほとんどしないとのことだった。回診の時に、社会参加した方が元気になるので何か仕事をするように、と勧めた。しかし、ご本人は全くやる気もなく生返事をするのみで、関心を示してくれることもなかった。当時は腎性貧血の治療には鉄剤や蛋白同化ホルモンを使うしかなかった。それでも改善しなければ輸血である。蛋白同化ホルモンはほとんど効果が見られないうえ、女性では体毛が濃くなったり声が太くなったりした。女性には本当に悲惨な治療であった。この患者さんの場合も鉄剤も蛋白同化ホルモンも貧血の改善にはほとんど役に立たず、輸血せざるを得ないことがしばしばであった。

 輸血をして一時的に貧血が改善すると、当然のことながら顔色が良くなり、一見して非常に元気になった感じがした。事実、ご本人も意欲がでてきて、こんなことも、あんなこともやってみたい、と目を輝かせていうようになった。私も嬉しくなり、色々と話をして、まず、できる身近なことから始めたらどうか、とアドバイスをした。ご本人もその気になってくれて、家の手伝いから始めてこうしたい、ああしたいと嬉しそうに語ってくれた。しかし、輸血による貧血の改善はほどなく消失し、もとの貧血状態になってしまう。すると、以前と同じような無気力な状態になってしまう。そのようなことを繰り返していた。

 エリスロポエチン製剤(およびその類似薬)のない時代の話である。今でもこの患者さんはその後どうなっただろうかと考えることがある。現在、経口の腎性貧血治療薬の治験がおこわれているが、まさに隔世の感がある。

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