心に残る患者さん ~ドクターズエッセイ~Vol.100(2018年8月号)

ドクターが忘れがたい患者さんについて語るリレーエッセイ。
(先生の肩書は掲載当時のものです)

菱田 明 先生   

焼津市立総合病院 名誉院長
浜松医科大学 名誉教授

回想されるのは、そのときどきの真剣な姿

透析日にまとめて休養
 70才代の女性のMさんが合併症治療のため入院されたときのことです。20年近く前、Mさんの透析導入時の主治医であった私は、久し振りにMさんの近況話を聞く機会となりました。趣味の活動や友人との交流など、忙しく活動されている様子を楽しそうに話される姿は、透析室での、静かで控え目の感じのMさんからは想像しがたいものでした。なにげない話のなか、Mさんが「私は透析の日にまとめて休養をとっているので、残りの4日は目一杯、動いているのですよ」といわれたとき、一瞬不意をつかれた衝撃が走りました。「週3日拘束され、したいことができなくなることが、透析患者さんの大きな負担」と考えていた私にとって、「そういう考え方もあったのだ」と心が大きく揺さぶられました。その言葉は、その時のMさんの笑顔と共に繰り返し思い出されます。

4つの静止画像
 最初のシーンは、私が医師になった1970年頃、「高血圧・尿毒症のため両眼の視力をほぼ失った状態で、透析が必要」として紹介されてきた20才代の男性の顔です。ナースステーションのなか、車イスに乗って硬い表情でじっと我々の方に顔を向けておられる姿です。当時、全国の透析患者数は1,000名前後でした。透析可能な施設も限られ、身体の調子がぎりぎりまで悪くなって透析が開始されることが多かった時代です。
 次に思い出されるのは、同じ頃透析を開始された30才代女性が、深夜の病棟の廊下を一人で黙々と歩いておられる後姿です。透析効率が十分でなく、尿毒症による「足のむずむず感」が強く、寝つけず、夜遅い病棟の廊下を何回も行き来しておられました。
 これらのシーンは、自分と同世代の患者さんが腎不全と闘っておられる姿と、尿毒症の恐ろしさを実感した衝撃との記憶として焼きついているのだと感じます。
 1975年頃になると透析患者数も13,000人前後に増え、透析をしながらの社会復帰が珍しくなくなりました。とはいえ、透析効率も未だ不十分で、エリスロポエチンもなく、食事を中心とする生活管理が患者さんのQOLを左右する時代でした。そんな頃、20才代の男性が顔色も悪く、ぐったりして透析を受けておられるシーンが3つ目として浮かび上がります。食事管理が十分にできず、体調をしばしば崩されていたのです。一方、同じ頃、生活管理をしっかりされ、スタッフが頭の下がる思いで接していた患者さんが、透析ベッドの上で仕事の書類に目を通されている姿が 4つ目のシーンとして思い出されます。

透析の進歩とともに
 最初に紹介したMさんのエピソードは、エリスロポエチンの開発・透析機器の進歩などにより、患者さんのQOLが大幅に改善された1990年代のことです。私の心には、その時々の透析療法の進歩の段階と、私自身が年齢を重ねていく段階とを反映したシーンが写真のように記憶にとどまっているのだと思います。共通している記憶は、どの患者さんも、自らの透析生活に真剣に向き合っておられた姿です。そうした姿に接することができ、多くのことを学ばせて頂いたことに感謝する毎日です。

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