心に残る患者さん ~ドクターズエッセイ~Vol.115(2021年2月号)

ドクターが忘れがたい患者さんについて語るリレーエッセイ。
(先生の肩書は掲載当時のものです)

湯沢 賢治 先生   

国立病院機構水戸医療センター
臓器移植外科

国を超えてつながれた命と腎移植

 医師として心に残る患者さんというと、どうしても辛い出来事であることが多く、本欄を拝読しても辛い記憶を記している先生が多いようです。私自身、医師としては忸怩(じくじ)たる思いは多々ありますが、あえてこの度はコロナ禍のなか、明るいお話をさせていただきます。

 私が筑波大学を辞し、現在の病院で腎移植プログラムを開始して間もない頃でした。モンゴルから筑波大学大学院に国費留学していた女性が慢性腎不全になり血液透析が導入されました。当時、モンゴルでは透析装置は日本とドイツから寄贈された18台が首都ウランバートルにある国立中央第一病院にあるだけでした。このため、モンゴルでは腎不全になった人はほとんどが亡くなられており、透析に空きはなく、帰国できない状況でした。しかし、当時のモンゴルでは、一部の腎不全患者さんはロシアや韓国で腎移植を受け帰国しており、免疫抑制剤は国から供給され、その検査もできることが分かり、移植を希望して当院に紹介になりました。最初、父親が来日し、生まれて初めて健康診断をしたところB型肝炎と大きな肝癌が見つかり帰国されました。ついで夫が来日し、肥満と脂肪肝のため生体ドナーとしては不適格として帰国しました。しかし、半年間ダイエットに励み、血液透析開始1年後の2009年1月に生体腎移植をおこない、無事に夫婦で帰国することができました。これが腎移植をしての最初の幸せです。帰国後は国立中央第一病院から検査データをメールで送ってもらい、まったく問題なく経過しておりました。

 帰国1年後の2010年、この病院から講演を頼まれたため、モンゴルを訪れ腎移植について講演をしました。その際に、在モンゴル日本大使にはお世話になりました。この時の私の写真が2017年にモンゴルで出版された腎移植の専門書に「モンゴルに腎移植を持ってきた人」として掲載されており、とても驚きました。また、私が講演したことが契機にもなりモンゴルでも腎移植がおこなわれるようになったとのことです。

 移植から2年半後、その患者さんが妊娠し、すぐ来日して精密検査をおこなったところ問題なく、出産可能と判断して帰国しました。しかしモンゴルでは腎移植後に出産したケースがなかったため、妊娠8ヵ月で再度来日し、満期で自然分娩により元気な女の子を出産、母子ともに元気に帰国することができました。お子さんを授かったこと、これが腎移植をして2つめの幸せです。

 その後、2017年にモンゴルで移植学会が開催され、講演をおこなってきました。日本で出産した女の子にも会うことができました。4歳になっており、とても元気で可愛かったです。移植学会まで開催されたことが、腎移植をして3つめの幸せでした。

 モンゴルでも新型コロナウイルス感染症は猛威を振るっています。しかし、患者さんから家族みんなが元気に生活しているとの報告を受け、「腎移植で3つの幸せ」を思い出しました。

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