体験談 / 一病息災 Vol.103 – 腎臓サポート協会WEB

体験談 / 一病息災 Vol.103

腎臓病と共にイキイキと暮らす方々に、腎臓サポート協会理事長 松村満美子がインタビュー
(職業や治療法は、取材当時のものです)
  • PD
  • HD

岸 忠雄 さん(きし ただお:1948年生まれ)

14才で腎臓病と診断され、44 年の保存期の間に結婚、4人の男の子に恵まれる。
PD導入後も定年まで勤め、さらに5年を働いてHDに移行。今が一番元気!
1948年9月生まれ。70才。14才で腎臓病と診断される。高卒後、初級公務員として採用された後、中央大学法学部二部卒業。中級国家公務員試験合格。国家公務員として定年まで勤める。58歳腹膜透析導入。60歳退官し国立公文書館勤務。65歳退職、血液透析に移行し、俳句に親しむ日々を過ごす27才で結婚、男の子4人。2018年秋、瑞宝小綬章受章。

患者さんの体験談~一病息災~ vol.103

透析をしていても勤められることを見せたいと思ったんです

昭和23年生まれの岸忠雄さんは団塊の世代ど真ん中、有給休暇をとることもなく、仕事一筋で生きてきました。そんな岸さんには親しい人にしかいっていない秘密がありました。それは腎臓病!病気だということで仕事で斟酌されなくない、その思いを貫くための自己管理。その結果、保存期を延ばし、透析に入ってからも快適な透析ライフに結びついているのです。

頑張れるだけ頑張り透析導入を延ばす

松村 昨年は勲章を受けられたそうでおめでとうございます。どんな勲章ですか?
瑞宝小綬章というので、公務員として長年勤めたことを評価いただきました。
松村 お勤めは透析をしながらもつづけていたのですか?
58才で腹膜透析(PD)を導入しました。60才で退官しましたが、その後も別組織で5年勤めました。その間はずっとPDをしていました。
松村 仕事中に透析液の交換を?
いえ、夜中に自動的に透析液を交換してくれるAPDにしたので、昼間はお腹に透析液を2リットル入れたままで、帰宅が遅くなっても大丈夫でしたよ。
松村 透析を始めたときのクレアチニンはどのくらいでした?
16です。
松村 ずいぶん高いですね。8を超えたら透析では?
主治医からはいつ透析を導入してもおかしくないといわれていましたが、頑張れるだけ頑張りたいと伝えたところ、「いろいろ我慢しなきゃならないことがあるよ」といわれましたが、頑張りました。
松村 どんなふうに?
どうということはないのですが、仕事が忙しく食事は昼も夜も外食でした。ただ食べる量は他の人と比べると少食で、検査値をみながら調整したりしていましたね。
松村 それでPDを導入してから、仕事は変わりましたか?
責任あるポストにいたので、辞めようとも思いましたが、透析をしていても勤められることを見せたい気持ちもありました。それがPDを始めたらかえって体調が良くなって続けられました。
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数々の試練をクリアして少しづつ自信がついた

松村 腎臓が悪いのが分かったのはいつですか?
中学2年のときです。活発な子供だったのが元気がなく、心配した母親が病院に連れていったらタンパク尿がでていました。10日くらい入院しタンパク尿は消えたので、学業にもどりましたが、ある人から「腎臓病だと30才まで生きられない」といわれ、ショックを受けたのを覚えています。
松村 その後治療は?
定期的に通院していました。32才のときに腎生検をしたら、IgA腎症と診断され、そういえば小学校のころよく扁桃腺を腫らして熱をだしていたのを思い出し、原因はそれだったのではないかと考えました。
松村 就職するとき身体は大丈夫だったのですか?
大学受験に失敗したのですが、公務員試験は通っていたので就職しようと思ってました。そしたら身体検査でひっかかり、近所の病院で診断書を書いてもらい提出したら、もっとしかるべきところの証明書でないとダメといわれたんです。それで東大病院で診てもらい、「事務的な仕事なら問題ない」という診断書をもらいやっと入れました。同期はみな4月採用でしたが、私は6月採用になりました。
松村 それは大変でしたね。それでずっと定年まで?
就職した翌年から中央大学の法学部の夜間にいき、4年間で大学を卒業しました。20才のとき国家公務員の中級試験に合格しました。それで少し自信がつき、結婚もしたいと、27才で結婚しました。
松村 奥様とはどこで知り合ったんですか?
職場結婚なんです。
松村 腎臓病だということは?
話しました。妻は退職して、子供も4人授かりました。
松村 これまで体調が悪くなったりとかはなかったですか?
ありません。役所を休むこともなく、本当に仕事人間でやってきたんですが、そうですね、腎臓病とは関係ないかもしれないんですけど、30才を過ぎた頃、すごく忙しく疲れ切っていたときに、前日まで一緒に仕事をしていた人がくも膜下出血で急死したことがありました。葬儀やらをバタバタ済ませた直後、職場で急に胸の鼓動が激しく息苦しくなって、救急車で病院にいきました。
松村 もしかして発作性頻拍?
ええ、病院にいくと治っちゃうんですが、この発作がたびたび起き、いつ起こるか不安がつのりました。
松村 それは大変でしたね。
その頃は忙しく午前0時を過ぎても仕事をしているのが当たり前でした。同じ方面の人たちがまとまってタクシーで帰るんですが、タクシーで高速道度を走るという閉鎖空間が怖くて同乗することができなかったんです。
松村 それで、どうしました?
一人だけ0時12分の最終電車で先に帰りました。でも「俺たちがタクシーで帰るのに、おまえ電車で帰るのかよ」という雰囲気で、すごくやりにくかったですね。
松村 病気のことは説明してなかったのですか?
親しい人は知っていましたが、公言はしていませんでした。というのも病気だということが分かると「無理させられないんだ」ということになということになりますので、私としてはちゃんと仕事をやるということが大切でしたから。
松村 それで発作性頻拍は克服できたんですか?
20年くらいかかりました。
松村 どうやって?
上司の海外出張に同行するよういわれて、13時間のフライトなのでとても無理と辞退したのですが、直々の上司から「どうしても行ってくれ」といわれたんです。それで「なったらなったでいいや」と思い切って行きました。
松村 開き直るといいといいますね。
これでずいぶん自信がつきました。病気を抱え、夜学を卒業し、結婚して一家も持った。「30才までしか生きられない」と思っていたのが、58才まで普通の人と同じに働いてこれたから、透析になっても大丈夫、ちゃんと働けると思えたんです。
松村 血液透析(HD)に移行したのはいつですか?
5年前です。65才で第二の仕事をやめるとき、PDも7年目で、これを機会にHDに変えることにしました。
松村 PDはトラブルなしでしたか?
はい、ただシャントも作っていつでもHDに移行できるというそのときに、実は、腹膜炎を起こしてしまって…痛くて我慢できず急患で近所の総合病院にかかり、そこから救急車でかかりつけの病院に運ばれました。
松村 それは大変でしたね。それでHDに変えられたのですね。

体重管理は食事のたび体重計にのって完璧!

松村 今はどのようにやってらっしゃいますか?
週3回4時間で始め、昨年から週3回5時間です。
松村 HDをしているあいだは何をなさっているんですか?
テレビをみたり、文庫本も一冊枕元に置いておきますし、それから最近始めたカラオケサークルの課題曲を聞いて覚えたりしています。
松村 今の体調はいかがですか?
実は中学生のとき病気が分かってからずっとだるくて、58才でPDを導入して楽になり、65才でHDを始め、て、何か新しいことを始めて今が一番体調がいいんです。
松村 今は仕事もリタイアなさって、何か新しいことを始めているのですか?
はい、俳句を始めました。自転車で15分くらいのところに手賀沼というのがあって散歩にいっては吟行みたいなことをするんです。
松村 素敵ですね。そんなに元気だと食欲も進み、HDの体重管理は大変ではないですか?
それが実は優等生だといわれているんです。
松村 さすがですね、どうやっているんですか?
私の場合は透析が一日おきだと体重の増加は1.6キロ、2日おきでは2.5キロまでなんです。それで食事のたびに体重計に乗っています。
松村 体重計で管理しているのですか?
たとえば800g増えていて、次の透析まであと2食だと、400g、400gと食べれば1.6キロだとやるんです。
松村 それはすごい!ずっとそうやって管理しているから、保存期を44年間も保ち、透析を導入してからも元気でいらっしゃるんですね。

インタビューを終えて

同席してそばで話を聞いておられた奥様は、男の子ばかり4人の子育てで忙しく、「主人の体調管理は自分でしてくれていたので、そんなに大変とは思いませんでした」とのこと。一方、岸さんは、「仕事を全うしてこれたのは多くの人たちのおかげ、特に家内のおかげ」とおっしゃっていました。何ごとにも全力投球でまじめに立ち向かうお人柄が、今の幸せにつながっているのでしょうネ。長い長い保存期をキープして、透析に入って身体が楽になったといわれたのが印象的でした。

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