体験談 / 一病息災 Vol.121(2022年7月号)

腎臓病と共にイキイキと暮らす方々に、腎臓サポート協会理事長 雁瀬美佐がインタビュー
(職業や治療法は、取材当時のものです *敬称略)
  • PD
  • HD

和泉 喜兀さん(いずみ よしたか)

患者さんの体験談~一病息災~ vol.121

夢は腹膜透析でアメリカ大陸横断鉄道の旅

奥様とできるだけ一緒にいる時間や自由な時間を確保したいとの理由から、血液透析(HD)を腹膜透析(PD)に変更し、現在は毎日のPDと週に1回のHDを併用した「ハイブリッド透析」を続ける和泉さん。コロナ禍で続く自粛生活の中でも、ボランティアの再開、海外への旅の夢をずっと持ち続けています。PDの生活も2年目。操作にも体調にも自信をのぞかせる82歳。
聞き手:雁瀬 美佐(腎臓サポート協会)

年齢(西暦)病歴・治療歴
1940年生まれ
40代高血圧と診断され、投薬治療開始
60代さらに糖尿病と診断される
78歳(2018年)腎不全と診断され血液透析開始(クレアチニン8.84、尿素窒素47.5)
80歳(2020年)腹膜透析に移行
82歳(現在)毎日の腹膜透析と週1回の血液透析のハイブリッド透析療法

高血圧、糖尿病から腎不全へ

雁瀬 今は透析をされていますが、そもそも体調の変化があったのはいつ頃でどのような生活をされていたのでしょうか。
和泉 40代から高血圧と診断されて薬を飲みながらコントロールしていましたが、60代初め頃から糖尿病にもなってしまいました。薬は増えていきましたが、体が資本のような毎日でしたし、特に苦しいという症状はありませんでした。当時は、造園関係、緑化事業や米軍関係の仕事をやっていてヨーロッパやアジアによく行きました。仕事をしていて年々「体力が落ちてきたな」ということは度々ありましたが、仕事も遊びも存分にやっていましたね(笑)。
雁瀬 その頃、食事などは気を付けていましたか?
和泉 高血圧と糖尿病ですから、主な食事療法は塩分制限です。塩分を少し強くすると体が水分を欲しがるから水を飲む。すると体重が増えてしまうんですよね。減塩はなかなかうまくいかなかったです。だから今は腎臓病用のお弁当をとっていますが、これがあまりおいしくないんですね~(笑)。
雁瀬 腎臓が悪くなられて、いよいよ「透析を始めましょう」と言われた時のお気持ちはいかがでしたか?
和泉 70代半ばになり、かなり疲れやすくてだるいと実感して、総合病院の腎臓内科で相談すると、「腎臓のデータがかなり悪いのでシャントを作りましょう」と言われました。シャントを作ったまま半年くらい何もせずにいましたが、胸に水が溜まって苦しかったので、水分を抜くためにHDを開始することになりました。その後、今もかかっている長久保病院を紹介されたのですが透析は嫌でしたね。「一日おきに通院するのは厄介だ」というのが最初の気持ちでした。

腹膜透析への移行

雁瀬 その後、HDからPDに移行されましたがきっかけや理由を教えていただけますか?
和泉 長久保病院までJRで一駅ですので健康のために歩いて通院し、体調も維持できていました。透析専門の病院で先生や看護師さんも一生懸命治療してくれて雰囲気がいいんです。でも、80歳を迎えたころに色々資料を読んだり、インターネットで調べたところPDという方法があることを知りました。ちょうど、家内の認知症が急速に進行していたので、できるだけ一緒にいる時間を作りたい、自分の時間を少しでも長く持ちたいと思い先生方に相談しました。その病院でPDをしている患者さんはいなかったのですが、先生や看護師さん、技士さんたちが準備と応援をしてくれました。2020年10月にお腹にカテーテルを入れる手術を受け、夜寝ている間におこなうPDを始めました。
雁瀬 PDはHDと違って自宅で自分で操作をすることになりますが、大変ではなかったですか?
和泉 いや、それはなかったですね。入院して操作をしっかり学びました。確かにPDのマニュアルはかなり分厚いので、もう少し歳をとっていたらやる気はなくなったかもしれないですね(笑)。PDを始めた当初は、給水のバランスや体重コントロールで苦労しましたが今ではすっかり慣れ、上手くなりました。また、先月は開口部が痒くなったと思ったら感染を起こしていて、カテ―テル部の手術をしました。ただ、それでも週に1回だけの通院は楽だと思います。除水の値が良ければHDには行かなくてもいいそうなので。
雁瀬 クレアチニンなどの検査値は意識していましたか?
和泉 それは否応なしにインターネットなどで調べますから詳しくなります。今一番気になっているのはリンですね。高リン血症の治療薬も飲んでいますが、下痢になったり便秘になったりします。その他には、足だけではなく筋肉のあるところがつるんですよ。それと血圧が下がったり、めまいや吐き気もありますが、コントロールはでき、ひどくなるわけではありません。
雁瀬 実際のPDのスケジュールや工夫されていることを教えていただけますか?
和泉

和泉さん

自分の狭い部屋に透析の機械を置いているので、壁際に金属製の籠をぶら下げて、用具を整理しています。大体午後9時に開始して、翌朝7時に終了するという設定にしているのでちょうど10時間の透析になります。準備自体は15分くらいで簡単です。翌朝は、7時頃目が覚めて、排液の入ったタンクを風呂場にゴロゴロと運んで、ざーっと空けてタンクの中を洗います。洗わないとたんぱく質などが付着しちゃうんですよ。でもこれらは毎日のことなので、面倒なこともなくあまり気になりません。透析の機械は次に何をするか音声で案内してくれますし、何でも表示されますので大変わかりやすいです。トラブルやわからないことがあってメーカーに電話をすると24時間すぐに対応してくれます。機械もサポートもよくできていて、とても安心感があります。

自分の時間の過ごし方

雁瀬 さて、PDが安定し、自分の時間が持てる今、このコロナ禍の自粛生活が終了したら、何をしたいですか?
和泉

和泉さん

昔から、老人ホームのボランティアをやっていました。私がハーモニカを吹いて家内が一緒に歌っていたのです。ハーモニカは40代くらいから始め、130曲くらいは吹けるので、コロナが終わったらまた再開したいですね。老人ホームから帰る時に「帰らないでくれ」と泣かれてしまったり、一緒に歌っていた男性が急に泣き出したりして、思えば本当に色々なことがありました。認知症カフェなどにも随分呼ばれて行きました。
 それと私は園芸療法の研修を受けているので、園芸療法と音楽療法をジョイントさせる試みを8年ほどやりました。私の場合、透析治療の辛さは特になかったですが、園芸療法と音楽療法をジョイントさせると効果的だということは、自分の闘病経験からもよくわかりましたね。ふれあいや人の役に立てるボランティアは大好きですし、生きがいです。
 国立くにたち生涯学習の中国語サークルの世話人、国際友好会での留学生との交流、早稲田大学の国立稲門会の代議員もやっています。このような関りやこの記事などがきっかけで交流の輪が広がれば本当に嬉しいです。
雁瀬 これからの夢は何でしょう。
和泉 まずは、国内のできるだけ遠くに行きたいですね。コロナさえ収まれば自分の体調としては行けると思っています。そして、一番大きな夢はアムトラックという鉄道に乗ってアメリカを横断してみたいと思っています。機材を引っ張って行かなければならないかもしれませんけれどもできるような気がしています。やっぱりこの歳になると、楽しみを自分で作り出さないとね。
雁瀬 明るくて前向きでいいですね~。透析の導入平均年齢は約70歳と言われ、治療法を迷っていたり、精神的に落ちこんでしまう方も多いようです。
和泉

和泉さん

私の体験から言うと、条件さえ合えば、時間の制約が多いHDよりPDの方が色々な意味でいいのではないかと思います。まだまだボランティアもやりたいし、園芸療法ももう少し極めたいという希望を持っているのでPDの方が動きやすいですね。
 よく人生100年と言われますが、あと少しおまけで10年、15年はあると考えると、何かをやろうという気持ちを強く持って過ごしたいと思っています。

インタビューを終えて

インタビューをしている間、奥様がずっと隣に座っておられました。お話にうなずき、ハーモニカを吹くと自然に鼻歌でハミング。長く培ってこられたお二人の息は、入る隙間がないほどぴったり。穏やかで温かく、それでいて自分の意思や夢を強くしっかり持っているその姿は、これからも多くの方々の救いとなることでしょう。いつまでも仲良くお元気で。

 

雁瀬美佐

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