体験談 / 一病息災 Vol.126(2023年10月号)

腎臓病と共にイキイキと暮らす方々に、腎臓サポート協会理事長 雁瀬美佐がインタビュー
(職業や治療法は、取材当時のものです *敬称略)
  • PD
  • HD
  • 移植

田中 健さん(たなか たけし)

患者さんの体験談~一病息災~ vol.126

腹膜透析、血液透析、献腎移植。
治療のための生活より、
元気でいるための治療選択

ツーリングや登山、旅行と温泉が好き。アウトドア派の田中さんが選択した治療は腹膜透析16年、血液透析が4年、そして待機20年目の献腎移植。自分の趣味が継続でき、元気でいるための道でした。どんな道もいつも前向きに歩まれています。
聞き手:雁瀬 美佐(腎臓サポート協会)


年齢(西暦) 病歴・治療歴
1967年生まれ
17歳(1984年) 高校2年の健康診断で検査値異常
22歳(1989年) 入社時の健康診断でたんぱく尿
32歳(1998年) 腎生検実施するも医師からの明確な指示はなし
36歳(2002年) 肺水腫で慢性腎不全と診断。緊急血液透析、腹膜透析導入
52歳(2018年) 腹膜透析から血液透析へ変更
55歳(2022年) 腸閉塞でストーマ手術
56歳(2023年) 献腎移植を受ける

診断がつかなかった18年

雁瀬 腎臓が悪いとわかったきっかけを教えてください。
田中 高校2年の健康診断や入社時の検査で腎臓に関する項目で引っかかったのですが、どちらも所見がなく、32歳で第一子が生まれる機会に念のため腎生検をしましたが、その所見も明確でなかったため放置していました。腎不全とわかったのは36歳の時です。フルタイムで普通に仕事をしていましたが、職場でバドミントンをした時に足のむくみに気がつきました。その頃、横になると胸がぜいぜいして咳き込むようになりました。咳止めをもらうつもりで近くの病院に行き酸素濃度を測ったとたんに先生の顔色が変わり、レントゲンを撮るとすぐに大学病院を紹介されました。大学病院を受診すると即入院。腎臓の機能が悪化して除水ができなくなり足のむくみとなって現れた「肺水腫」で慢性腎不全の診断がつき、足の付け根からカテーテルを入れて緊急の血液透析(HD)を約2週間続けました。すると肺の水も抜け、呼吸も楽になり寝られるようになりました。その年に腹膜透析(PD)の導入手術を受けてそのまま透析の生活になりました。絶望とまではいかないですが、子供が生まれて間もない頃でしたし、食べていけるのかどうか、子供と一緒に遊べるのか不安に苛まれました。透析患者さんの平均余命の短さも不安材料でした。
雁瀬 ご自身の腎代替療法としてPDを選択されたのですね。
田中 保存期のある方は、透析の方法や種類などの説明を受けて選択できると思いますが、私は緊急入院だったので知識も時間もなく勧められるままに選択しました。受診した大学病院では、最初にPDを導入し、その後HDに移行する治療を勧めていたので自然にPDの開始となりました。
雁瀬 PDの導入で不安やトラブルはありませんでしたか?
田中 1日4回、朝、昼、夕、夜に自分でやる手技を覚えなければならないことや、カテーテルの取り扱いに衛生環境も大切であることなどを教育されました。導入に当たっては練習もし、カテーテル周囲の消毒なども何とかできると思いました。その後16年の間に腹部から出ているカテーテルが擦り切れたことが2回ありました。カテーテルの接続部分はガーゼと医療用テープで止めていますが、そこが動くと擦れてしまい透析液が漏れます。1回目は何とか修復できたのですが、2回目はお腹の出口で漏れが生じたので修復できず、HDに移行ということになりました。
雁瀬 PDが16年続いたのは立派ですね。
田中 PDは行動が自由でした。仕事もそのまま続けられましたし、保温バッグに温めた透析液を積み公共施設などで交換しながら日帰りのバイクツーリングを楽しみました。車では、透析液と加温する機械を積み1泊2日の旅行を毎年していました。PDは、最低限のことを守れば、リスクは高くない治療法だと思います。よく言われる腹膜炎も挿入口の皮膚炎もほとんどなく、PD向きの体だったと思います。ただ、HDに変更するためにカテーテルを抜く際、軽い腹膜硬化症を起こしていたとは言われました。

田中さん

腹膜透析から血液透析、移植へ

雁瀬 PDからHDへの移行についてはスムーズでしたか?
田中 HDは、針を刺したり施設に通わなければならないことは納得していました。PDの期間にHDについても考えることができましたし、生きていくために必要ですから、そこに迷いは一切なかったです。仕事は、夕方1時間早退し、週に3日通院しました。仕事への影響は最小限でしたし、日常生活も問題なく、子供たちにも最低限のことはできたのではないかと思っています。生活上の制約はありますが、それに煩わされることはないと思います。
雁瀬 家でおこなう血液透析(HHD)という方法は考えませんでしたか?
田中 HHDは長時間透析が可能で、通院費や通院回数も少なくなるというメリットもあるのでやりたかったのですが、通院していた病院が対応していなかったため実現しませんでした。自分で穿刺しなければならない不安もあるし、やる時には介護者が必要という条件もあり、そもそも共働きで無理でした。
雁瀬 さらに献腎移植を受けられたそうですね。
田中 透析を開始した時に日本臓器移植ネットワークに移植希望登録をしていました。両親や家族からの生体移植は選びませんでした。それから約20年、ある日何の前触れもなく「移植の順番が来た」という電話が移植施設から入り、移植受諾を即答し、慌ただしく入院して無事に移植を受けました。それまで尿意を10年以上感じておらず、尿が尿道を伝わる感覚もなかったので、術直後は導尿カテ―テルですが「あ、出た!」という排尿感覚がとても新鮮でした。今では普通に尿が出ています。免疫抑制剤など薬の量は増えましたが、通院による拘束時間がなくなり順調です。よく「顔色が良くなったね」と言われます。
雁瀬 サンクスレターは書かれましたか?
田中 まだ書けていませんが、ドナーの方へは感謝しかありません。臓器提供されるご本人のご意思もありがたいですが、何よりそれを許していただいたご家族の気持ちを思うと何とも言えません。サンクスレターは必ず書いて感謝の気持ちをお伝えします。

田中さん

自分が元気でいるために

雁瀬 長く腎臓病と付き合ってきた生活を振り返っていかがですか?
田中 実は昨年、腸閉塞を発症して手術を受け、小腸の人工肛門(以下、ストーマ)をつけています。ストーマがあるとパウチが引きつれて痛みもあり、好きな温泉に入れず、趣味のオートバイにも乗れず山歩きもできません。透析をしていた時より今の方がストレスが溜まりがちで、気持ちが落ち込みました。でも透析でトラブルが続くよりはよい方だと考えるようにしています。
雁瀬 せっかく移植が受けられたのに、少し残念ですね。
田中 「透析をするために生きるのは嫌だ。透析は自分が元気でいるためにやる」という言葉に触れ、透析効率を上げるためにできることは色々とやりましたし、透析時間もできる限り増やしました。その時々にストレスを感じないで生活ができるように頑張りました。それが元気になる秘訣だと思っています。今、ストーマのストレスは大きいのですが、流れていく時間は同じです。少しずつ前向きに考えています。

田中さん

インタビューを終えて

長い透析生活について淡々と飄々とお話してくださり、順調な様子を和やかにお聴きしていましたが、最後に昨年ストーマを着けたことで気持ちがとても落ち込んでいると吐露されました。「でも、両方出ない生活からひとつ(尿)は出るようになったよ」と冗談のようにおっしゃっていただいて、私の気持ちが救われました。ストーマの閉鎖術を検討されているとのこと。再び、ツーリングと温泉旅行ができるようになることを心から祈っています。

 

雁瀬美佐

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