体験談 / 一病息災 Vol.57(2011年6月号)

腎臓病と共にイキイキと暮らす方々に、腎臓サポート協会理事長 松村満美子がインタビュー
(職業や治療法は、取材当時のものです)
  • PD
  • HD

木原 敏子 さん(きはら としこ:1942年生まれ)

CAPD の透析液を旅先に送って、大好きな旅行を楽しむ。海外旅行まで!
1942年生まれ。33歳のとき三女を妊娠中に妊娠中毒症になったが完治。その子が5 歳のとき、むくみにより入院したもののその後放置しCKDに。阪神・淡路大震災後、保存期のときに三女と小料理屋をオープン。2001年CAPD 導入。4 回目の腹膜炎により2008年から血液透析を併用。これをきっかけに自宅兼店を売却。現在は一人暮らし。

患者さんの体験談~一病息災~ vol.57

CAPD 歴10 年目の木原さんは、今は血液透析を併用しながら、仕事もやめて悠々自適の一人暮らし。好きなときに友達や娘さんと旅に出て、行く先々でCAPD のバッグ交換をしながら、主治医もあきれるぐらい第二の人生を謳歌しています。ご自宅にお邪魔し、たまたま2 人のお子さんを連れてきておられた三女の真美さんにもお話を伺うことができました。

血液透析との併用は四度目の腹膜炎を起こしたときから

松村 木原さんはCAPD(腹膜透析)を始めてもう10年とのことですが、今は血液透析と併用ですか。
木原 3年前の10月30日から併用になりました。
松村 日付まで覚えているとは、よほど印象深かった何かがあったのですか。
木原 私はとにかく我慢強くて、ぎりぎりまで辛抱してしまうものですから、今までに5回も緊急入院しているのです。3年前まではCAPDだけだったのですが、4回目の腹膜炎を起こしたときから、ついに血液透析と併用になりました。
松村 4回も腹膜炎を起こしているのですか。血液透析と併用とはいえ、それでもまだCAPDを続けていられるってめずらしいですね。
木原 ついこの間の血液検査の結果でも、「この数値ならまだしばらくはCAPDを続けられますよ」って先生に言われました。
松村 それはよかったですね。それにしても、緊急入院5回とは大変な思いをなさいましたね。お一人で暮らしていらして、そんな緊急事態のときはどうされるのですか。
木原 何かあったらすぐ飛んできてくれる友人が近くにいるのです。だから、娘たちも安心しています。その友人からは「よく呼ばれるなあ」って言われています。病院が家の近くだったこともあって、入院してもすぐに家に逃げ帰ってしまうので有名になってしまいました。お風呂は、病院で人が入ったあとはいやなのです。自宅でないとどうしても。
松村 そもそも腎臓が悪くなったのはいつから?
木原 私が33歳のとき3人目の子がお腹にいたときに妊娠中毒症になって、先生には妊娠を続けるのは無茶だって言われたのですが、上2人が女の子だったので男の子を産まなければって頑張りました。ですが、またまた女の子で、それが「真美」です。それでも何事もなく無事出産して、妊娠中毒症は完全に治ったと思っていたら、38歳のときにものすごくむくんで、東神戸病院に3カ月入院しました。そのとき下の子は5歳になったばかりで、近所の人にあずかってもらっての入院だったので大変でした。
松村 退院してからは、定期的に検査を?。
木原 それがまったく自覚症状がなかったので、ちゃんと定期的に検査に行ってなかったんですよね。

阪神・淡路大震災で家は全壊。建て直すとともに小料理屋をオープン

松村 阪神・淡路大震災にも遭っていらっしゃるんでしょう? もう16年も前になりますか。
木原 当時、御影に住んでいたのですが、家は完全につぶれました。次の年、生活のことも考えて、家を新築するにあたって自宅の一階をお店にして、23歳になった三女の真美と一緒に小料理屋を始めたのです。家のすぐ前に大きな工場があり、そこの人たちがよくお店に来てくれていました。頑張って10年でローンを返しましたが、あの会社が払ってくれたようなものです。
松村 夜の仕事でしかも立ち仕事で、腎臓は大丈夫だったのですか。
木原 その頃はもう保存期になっていて、月に1回通院していました。私はまったくお酒が飲めないのですが、夜10時ぐらいになると足がパンパンに腫れあがって、その腫れたところを指で押すと、へこんだところに水がたまるほどむくんでいました。
松村 いくら我慢強くても、つらかったでしょうね。 とにかく我慢強くて、ぎりぎりまで辛抱してしまうものですから。
いくら我慢強くても、緊急入院5 回は多すぎ。6 回目は“なし”ですよ。
木原 ぎりぎりまで頑張って「もうダメ」となって病院に行くと、診察と同時に即入院させられていました。
松村 いよいよ透析となったときに、どうしてCAPDを選んだのですか。
木原 血液透析のためにシャントを作ったのですが、東京にいる長女が順天堂の先生に相談に行ったらCAPDを勧められて、それで決めました。忘れもしない10年前の2月12日です。教育入院1カ月と言われたのに、2週間で黙って退院してしまいました。
松村 CAPD の手技はマスターしたのですか。
木原 それはもう1週間で覚えました。とにかく入院が嫌で嫌でしょうがなくて、必死に覚えました。
松村 お店はいつおやめになったのですか。
木原 3年前に血液透析との併用になってからですね。このときは心臓が大変なことになっていて、心胸比53になっての緊急入院でしたから。このときは血液透析を1カ月間毎日やりましたが、きつかったですね。
松村 なぜそんな血液透析を毎日やらなければならないほど酷い状態になってしまったのですか。
木原 少し前に真美が結婚して、店の主体が娘から私になり、アルバイトを雇いながら何とかお店をやっていたのですが、人を使うって難しいですね。毎日くたくたになりました。このときの入院をきっかけに店をやめる決心がつきました。自宅兼店を手放してこの市営マンションに移ったのです。
松村 よく決心なさいましたね。
木原 子どもたちが「やめたら?」と言うもので。「元気なうちにやめないで寝込んだら、面倒見ないよ」と言われて心を決めました。
松村 それでもお店は繁盛していたのでしょう? 誰かに貸すという選択肢もあったのではないですか。
木原 不動産屋さんからも「貸したら?」ってずいぶん薦められましたが、揚げ物なんかもしますので油汚れがひどくなって、店がどんどん汚くなっていくのを見るのがいやだったから売ることにしました。そのお金で小さなマンションでも買おうと思っていたのですが、真美が神戸市役所に行っていろいろ手続きをしてくれて、ここに入れるようにしてくれたのです。 とにかく我慢強くて、ぎりぎりまで辛抱してしまうものですから。
とにかく我慢強くて、ぎりぎりまで辛抱してしまうものですから。

「CAPD の間に旅行三昧」は主治医の勧めから

松村 よいお嬢さんをもって幸せですね。それにしても、いくら我慢強くても緊急入院5回というのはすごいですね。最初の緊急入院というのはどういう状態だったのですか。
木原 最初は、24時間咳が止まらなくてどうしようもなくて、幸い病院が近かったのでとりあえず行ったら腹膜炎でした。あとで聞いたら、娘は先生から「お母さん、病院に明日来てたら大変なことになっていましたよ」って言われたそうです。
松村 それはちょっと我慢のしすぎじゃないですか。ことなきをえてよかったですね。では、5回目の緊急入院はどういう状態だったのですか。もう血液透析と併用しているときですよね。
木原 一昨年だったか、新型インフルエンザが流行ったことがあったでしょう。あのときに熱が下がらなくて、ものすごくつらい思いをしました。
松村 6回目の緊急入院はもう“なし”ですよ! ところで、このマンションは景色がよくて駅にも近く便利だし、競争が大変そう。よく入れましたね。
木原 何分私は身体障害者一級ですから、優先的に入れてもらえたのだと思います。ありがたいです。
松村 一戸建ての住宅からマンション暮らしに変わってどうですか。
木原 楽ですね。冬は寒くないし夏は風が通って涼しいし快適です。旅行に行くにも鍵一つで出かけられるのもいいですね。
松村 ずいぶん旅行に行ってらっしゃるみたいですね。先日ご紹介いただいて連絡しようと思っても旅行中で、なかなか連絡が取れませんでした。
木原 先生にも言われますが、でもそもそも先生が「将来血液透析になって1 日おきに病院にこなきゃならなくなったら長い旅行はできないから、CAPDの間においしいものを食べて、行きたいところに行っておきなさい」って言ってくださったので、せっせと出かけて楽しんでます。
松村 旅行は年にどれぐらい?
木原 3、4回じゃないかなと思います。
真美
(三女)
とんでもない。5、6回じゃきかないと思うわよ。東京のお姉さん(長女)のところにも年に2、3回は行くでしょ。それ以外に四国へ行ったり、下関へふぐを食べに行ったり。九州へ行ったのは去年でしたっけ?
松村 去年ということはもう血液透析との併用ですよね。何日ぐらい行ってらしたのですか。
木原 1週間CAPDだけで頑張って行ってきたのですが、これはつらかったですね。途中でやめて帰ろうかと思ったくらいに疲れました。
松村 海外旅行もされたんでしょ?
木原 真美がまだ独身のとき、3泊4日で韓国へ行ってきました。
松村 旅先へはCAPDの透析液バッグを前もって送っておくのですか。
木原 国内では旅館に送ってもらって、韓国へ行ったときはソウルのホテルに届けてもらいました。
松村 木原さんはさっぱりしているというか、思いきりがいいというか。お店をやっていらしたときはあなたのそんなお人柄に惹かれて、大勢のお客さんがきてくださったのでしょうね。それにしても思い切って元気なうちにお店をやめて、これからまだまだ人生をエンジョイできそうですね。

インタビューを終えて

一人暮らしとはいっても三女の真美さんが週に一度は子どもを連れて訪ねてくれ、長女は東京でも、二女も神戸在住なのでさびしいどころか、旅行と透析とでけっこうお忙しいのでは……。スリムな体型は28年間続けているヨガのおかげかも。お嬢さんや7人のお孫さんのためにも、我慢しすぎないで長生きしてくださいね。

一覧に戻る