体験談 / 一病息災 Vol.71(2013年10月号)

腎臓病と共にイキイキと暮らす方々に、腎臓サポート協会理事長 松村満美子がインタビュー
(職業や治療法は、取材当時のものです)
  • PD

藤森 純一 さん(ふじもり じゅんいち:1955年生まれ、印刷工場経営)

ガン、脳下垂体腺腫を克服。CAPDのおかげで気力・体力充実!
初孫にも恵まれ、ただいま絶好調。仕事、音楽、写真と多彩に活動中!
1955年、山梨県生まれ。 父親の印刷工場「峡北印刷」を引き継ぎ29年、ショッピングセンター「きらら」設立メンバーなど、地元の発展のためにも活動。
30代から腎臓が悪いことを指摘されたが、徐々に悪化し、50歳で腹膜透析(CAPD)導入。
現在は心身ともに好調で、仕事のかたわら、ギター・デュオ「フォークシンガーズ」でのライブ活動や写真撮影など、多彩な趣味を楽しんでいる。双子の男女の父、今年は初孫誕生。

患者さんの体験談~一病息災~ vol.71

血液透析だったら、病院で半日がつぶれてしまうのが、こんなに楽に、仕事場でもできる治療法を、よく開発してくれました。

峡北印刷三代目の藤森純一さんは、仕事だけでなく、地元商店街の活動や、音楽や写真撮影など、活動的な日々を送っています。
しかし、これまでにガンや脳下垂体腺腫の出血、原因不明の腎臓病など多くの病と闘ってきました。
腹膜透析(CAPD)を導入し、現在では毎月2回のライブ活動のほか、各地で出張ライブを開催するなどファンも増え、ますます旺盛に活動しています。

良いという病院を調べ、入院して勉強しました

松村 もともとのご病気は何だったんですか?
藤森 わかりません。炎症だっていわれましたが……
松村 原因不明?おいくつのときですか?
藤森 38歳のときでした。実は睾丸ガンの手術で入院したんですが、その時に腎臓が悪いといわれました。
松村 まぁ、ガンですか?
藤森 ええ、手術が終わって、転移があるというので抗ガン治療をしました。結果はあまり良くなかったのですが、その後はガンは再発してません。
松村 それは良かったですね。それでは腎臓の治療はその頃から始めたのですか?
藤森 隣の韮崎市の腎臓内科にかかって、多少気にはなっていましたが、何もしなかったと同じですね。それで、47歳のときに、脳下垂体腺腫から出血し、1ヶ月ほど入院したんです。失明するかもといわれたのですが、運良く大事にはいたらず、でも腎臓のほうが悪くなっているというので、少し食事療法も始めました。
ところが、かかっていた先生が突然に辞めてしまったんです。患者仲間と相談していろいろと調べたりしていたら、東京の昭和大学病院がとても良いというので、そちらで診てもらうことにしました。
松村 東京まで通ったのですか?
藤森 1ヶ月ほど入院しました。診察以外の日曜日とか土曜日に講義をしてくださるんですよ、腎臓病っていうのはこういうものだという。食事療法についてもここで勉強しました。
松村 塩分やたんぱく質、食事療法はどのくらいでしたか?
藤森 1日、塩分6g、たんぱく質が30gぐらいだったと思います。家内が毎回きちんと量ってやってくれたのですが、体調も悪く、美味しく感じず、食事が嫌で嫌で、どんどん痩せていきました。
松村 いずれ透析というのは考えていましたか?
藤森 できればやらないで済ませたいと思いましたが、仕事も忙しかったので、なるべく考えないようにしていましたね。
松村 いよいよ透析というときはどうでしたか?
藤森 ショックでしたよ。50歳のときでした。地元の山梨大学付属病院を紹介してもらい、1週間ほど入院して手術と訓練をしました。
松村 腹膜透析(CAPD)を選んだのは、仕事との両立を考えたからですか?
藤森 そうです。病院での勉強会に参加していた頃から、やるならCAPDだと思っていて、血液透析(HD)は考えもしませんでした。透析液の交換を事務所でできるので、仕事を休まなくていいですからね。
松村 透析を始めてどうでしたか?
藤森 とても大変でした。痛風になったり、貧血を起こしたりと、今まで体験したことがない不調が次々とおこって。
松村 普通は、透析を始めると楽になるといいますけどね。
藤森 透析のせいかどうかはわかりませんが、調子が悪くて、慣れるのに3年くらいかかりました。でも食事は楽になったし、海外旅行にも数回行ってます。
松村 現在は?
藤森
とても元気です。一度、体調が良くなってからは、問題なく続いています。
仕事の合間に事務所で透析液を交換できるので助かってます
仕事の合間に事務所で透析液を交換できるので助かってます
松村 透析液の交換はどんな風にしてますか?
藤森 毎日、朝起きて6時頃、12時に昼食を取りながら、夕方6時、夜寝る前の11時の4回です。
松村 今までトラブルはありませんでしたか?
藤森 最初のころに、一度、腹膜炎をおこしました。通常、身体についてる菌の感染だそうです。入院して2日で回復しましたが、再発防止のために、手術でチューブの場所を変えました。それからは問題はありません。

ギター・デュオでライブ活動中!

松村 フォークソングのライブ活動をなさっていると聞きましたが、どこでやっているのですか?
藤森 毎月、韮崎でやっています。第2土曜日は「マイルストーン」というレストランで、第4土曜日は「百文家」という居酒屋風の店でやっています。20席ほどのこじんまりした店ですけど。
松村 ギターはいつから始めたのですか?
藤森 高校生のときです。ちょうどフォークソングがブームだったので、最初は同級生でグループを結成して学園祭に参加したりしてました。その後、「やまなしフォーク村」に参加して、いろいろなミュージシャンと知り合いになり、深夜ラジオに出演したり、旧甲府市民会館の小ホールの動員記録まで作っちゃいました。
松村 CDも出されたんですよね?
藤森
ええ、1995年に。そのころ良く行っていたライブハウスに集まるミュージシャンたちと共同で。この曲なら誰がギターを弾くとかね。結構、評判がよくてメディアで取り上げられたりしました。 CD「かんとりいぶるう・八ヶ岳の笑い声」、活動中のデュオ「フォークシンガーズ」
CD「かんとりいぶるう・八ヶ岳の笑い声」、活動中のデュオ「フォークシンガーズ」
松村 それはすごい。それが今でも続いているのですか?
藤森 いえ、途中で受験勉強とか、仕事が忙しくて中断しました。CDを出した後は、体調が悪く、しばらく音楽からは離れていました。仕事も忙しかったですしね。
松村 では、現在のデュオを始められたきっかけは?
藤森 2000年に地元の有志が中心になって高速道路の長坂ICの目の前にショッピングセンターを作ったんですよ。私も設立メンバーの一人で、8人の仲間で20億円の借金をするという大事業でした。
2年前にインストアライブを開催したんですが、そこで同じギルドのギターを持つ新村君と出会い、話が弾んでフォークのデュオを結成することになりました。
松村 では、今、2年目くらいですか。お二人を楽しみに見に来てくれるお客さんもできましたか?
藤森
おかげさまで少しずつ。最近ではライブに来てくださった方から老人ホームで慰問演奏してほしいと頼まれたり、今度は甲府の喫茶店から呼ばれて、ライブをする予定です。
生き物や風景をうまく切り取れると嬉しい生き物や風景をうまく切り取れると嬉しい
松村 すばらしいですね!

初孫も誕生、ただいま絶好調!

松村 体調は問題ないのですか?
藤森
ここ5年ほどはとても体調が良いです。心配といえば、CAPDがいつまで続けられるかということかな?できるだけ長く続けたいですね。
HDで病院に通っていたら半日は休まなければならないでしょ、それがCAPDだとまがりなりにも仕事ができますからね。よくこんなに楽にできる治療法を開発してくれたと、感謝ですよ。
毎日、楽しくてしかたないんです毎日、楽しくてしかたないんです
松村 CAPDをやっている方は、長くやりたいと思うようですね。でも、いずれはHDですよ。HDへ移行する前にHDと併用というのもありますし、ドクターに相談してみてはどうですか?
藤森 はい、わかっています。医師の指示に従っていこうと思っています。でも今年は初孫も産まれ、音楽や、もうひとつの趣味の写真にもはまっていて、絶好調なんでね。このまま続けられればな~と思いますよ。
松村 そうですか、CAPDに出会えたからですね。
藤森 まったくですね。
松村 現状維持が長く続くとよいですね。

インタビューを終えて

山梨は温泉天国、藤森さんも大の温泉好きでしたが、CAPDを始めてからはカテーテル部からの感染が怖くて諦めていたそうです。ところが今では、「大きな声ではいえないけど」、保護シートを貼って、ほとんど毎日入っておられるとのこと。「最初は恥ずかしかったけど、今はぜんぜん平気」と。質問されたらCAPDのことを説明してあげるそうです。
動物たちの写真もとてもすてきでプロ級の腕前。好きなことを積極的になさっているのが元気の秘訣ですね。その前向きなお人柄で、ますますお元気でお過ごしくださいね。
※CAPDでのお風呂の入り方は、主治医に相談しましょう。

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