体験談 / 一病息災 Vol.79(2015年2月号)

腎臓病と共にイキイキと暮らす方々に、腎臓サポート協会理事長 松村満美子がインタビュー
(職業や治療法は、取材当時のものです)
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森本 幸子 さん(もりもと さちこ:1962年生まれ、病院勤務)

前向きで明るくみんなから愛されているサッちゃん!
透析40周年を祝うパーティが開かれました。
1962年10月、神戸市生まれ、53才。遺伝性のアルポート症候群のため12才で透析導入、昨年8月に透析暦40年を迎える。高校卒業後に会社勤務。その後簿記1級を取得し転職。36歳で結婚。現在は総合病院勤務。講演活動のほか、ブログやFacebookで体験談を語り、多くの支持を集めている。車の運転、エアーライフルや交響曲第9番の合唱など、趣味にも積極的に取り組んでいる。

患者さんの体験談~一病息災~ vol.79

命をつないでもらっている私たちにできることは、きちんと社会生活を送ることなんです。

昨年11月、森本幸子さんの透析40周年を祝って、全国から大勢の仲間がかけつけてくれました。「さっちゃんの元気予報」のブログ・メンバーで、皆さん、透析開始で悩んでいる時、森本さんの言葉に助けられ共に乗り越えてきた方々です。自らの体験を語ることで、悩んでいる人のためになりたいという森本さんにお話を伺ってきました。

ジタバタしないためには知識はあった方がいい

松村
透析40周年おめでとうございます。今日のパーティに参加なさっているのは、透析のお仲間ですか? 40周年の勲章として、スワロフスキーのペンダントを松村からプレゼント
40周年の勲章として、スワロフスキーのペンダントを松村からプレゼント
森本 はい、北海道から九州まで、全国から、患者だけでなく、お医者さんとか透析スタッフ、ご家族も含めて40名くらい来てくれました。
松村 森本さんの地元の神戸じゃなくて、どうして東京で?
森本 神戸では4年くらい前にやったんですが、その時は60名くらい集まりました。
松村 すごい!そのネットワークは、どうやって作ったんですか?
森本 15年くらい前にサイトを始めたんですけど、そこにみんなが集まってきて、広がっていったんですね。
松村 なんというサイトですか?
森本 「さっちゃんの元気予報」です。
松村 サイトを始められたのはなぜですか?
森本 今日も若くかわいい女の子が来てくれましたけど、自分も透析をしながら同じような時期を過ごしてきたので、困ったり悩んだりしているのを見ると応援したくなるんです。それでそういうことを書き連ねてきたら、どんどん広がって。
松村 知らせておいた方がいいと思うことを、書くわけですか?
森本 そうですね。40年やってきて良いことばかりではないので、悪いことも書きます。現実としてこういうこともあるんだよということを知らせるために、書くんです。
松村 たとえば?
森本 長いこと透析をしているとさまざまな合併症にもかかります。アミロイドが舌に沈着して激痛が走って食べられなくなったことや、穿刺に40分もかかったことなど、なんでも赤裸々に書きます。
松村 反応はどうですか?
森本 辛いことを書いたときは、むしろ反応がないんですけど、みんな読んで何かを感じてくれていると思います。私もそうでしたけど、たとえば長期間透析をしていて合併症がでたということを読んで、「自分も将来なるかもしれない」と思いながらも、片方では「私はならない」と思ってしまうんですね。
松村 「自分が死ぬ」なんて誰も思っていないようなものですか?
森本 そう、でも、もし将来同様なことが自分の身に起こったときにジタバタしないためには、知識として持っていた方がいいでしょ。だから私は自分の身に起こったことを伝えるようにしているんです。
松村 具体的にいろいろ書くと、メールがたくさんくるわけですか?
森本 はい、掲示板があって、「こういう状態なんですけど、どう思う?」と質問が投稿されると、私だけでなく、お医者さんや技師さんなど、あらゆる方面の方が答えてくれるんです。
松村 それは助かりますね。今もそれを続けているのですか?
森本
いえ、あまりにも広がって、メールに返事を書くのに1日の大半を使うようになってしまったので、ちょっとお休みしています。その代わりにFacebookで遊んでいます。 さっちゃんから、元気をたくさんもらっています!
さっちゃんから、元気をたくさんもらっています!

透析医療も進歩して高効率の透析が可能に

松村 原疾患は何ですか?
森本 アルポート症候群という遺伝性の病気です。
松村 透析はいつから?
森本 1974年、12才のときで小学校6年生でした。
松村 小児だと、腹膜透析(CAPD)ですか?
森本 いえ、今のようなCAPDはなく、その前身の腹膜環流という方法でしたが、すぐに腹膜炎を起こしてしまいました。
松村 では血液透析(HD)で?
森本 はい、HDもまだ発展途中で、内シャントを作って使えるようになるまで2週間、血管を体の外に出した外シャントで透析していました。
松村 外シャントなんて久しぶりに聞きました。それで何かトラブルはありましたか?
森本 トラブルは山程ありました。当時は子供用のダイアライザーがなくて手作りで工夫したり、今でもそうですが、血管が細くて穿刺が大変なんです。シャントがすぐにダメになるので、もう20回以上も手術してるんです。
松村 20回というのは始めて聞きました。
森本 それと今でいう透析困難症で、もともと低い血圧が、透析を始めると60代まで下がっちゃうんです。
松村 それは、ふらふらですね。
森本 当時の透析は8時間でしたけど、その間ずっと吐き続けて、洗面器を抱えて過ごしました。
松村 辛かったでしょうネ。
森本 でも院長先生は「勉強しなさい」とおっしゃるので、洗面器を抱えながら勉強してました。それに比べると、今は医療が進歩して機械も良くなり、ずっと楽に良い透析が受けられるようになりました。

限られたなかでも精一杯、頑張りたい!

松村 いろいろな透析を試したいと先生に提案なさったそうですが、いつ頃からですか?
森本 10年くらい前です。それまでは透析してもらっていたら元気が維持できると思っていたんですが、透析をちゃんと勉強し始めたら、そうでもないということが分かって、いろいろお願いするようになりました。
松村 何種類くらい試しました?
森本 毎日2時間、週4回6時間、週4回5時間、オンラインHDFとか、いろいろなパターンをダイアライザーと組み合わせてやってみました。
松村 先生は快く承諾してくださったんですか?
森本 突出したことは無理ですが、理解のある先生だったので、いろいろやってくださいました。
松村 提案なんて、長年やってきた経験からですか?それとも本を読んだり勉強して?
森本 両方です。本や先生から教えてもらうことだけでなく、今日のパーティに来てくれた患者仲間の情報もすごいです。経験したことを教えてもらって、自分に合うかどうかやってみて、だんだんわかるようになりました。
松村 透析条件を見直してみてどうでしたか?
森本 やはり体の調子が良くなりました。1昨年の夏に正社員として総合病院に就職できたのもそのおかげです。
松村 それで一番良かった透析はどれでしたか?
森本 個人的には、血流が緩やかで、透析時間が長くて、回数はできるだけ多いのが楽です。
松村 では、今はそれで?
森本 いえ、今は3.5時間を週4回やってます。
松村 短いんですね。
森本 はい、その時の体力や症状に合わせないとならないんです。いい透析だといわれていても体力がないとできませんからね。今は食べる量がすごく減ったので、体力が持たないので短時間なんです。
松村 食べられないんですか?
森本 苦痛なくらい、食べられません。でも、食べないとダメですね。
松村 そうですね。ほかには辛かったことはありますか?
森本 それはしょっちゅうありますけど、透析にはついて回るものだから仕方ないと思っています。限られたなかで自分なりに頑張りたいと思っています。
松村 透析と共に生きてきて、なにかモットーは?
森本 固い話になりますけど、今は長時間透析、頻回透析、オーバーナイト、在宅血液透析など選択肢が増えました。高効率の透析を受けることができ、体も楽になりました。莫大な費用を使って命をつないでもらっているわけですから、私たち透析患者もキチンと社会生活を送って結果を出す必要があると思うんです。
松村 そうですね。それでお仕事もずっと続けているのですね。ほかに趣味とかは?
森本 エアライフルをしています。車の運転も好きで、北海道と沖縄以外は日本中走っているんですよ。近々では、12月に「1万人の第九」を歌うので、練習に燃えてます。
松村 それは楽しみですね。長期的には次の目標は還暦ですか?
森本 そうですね、還暦、いいですね。

インタビューを終えて

昨年11月30日に、40周年パーティにお邪魔して、パーティ終了後、お話を伺ったのですが、その後、神戸へ帰る前に、入院中のお友達を見舞うというので、お別れしました。その頑張りとエネルギーと優しさに脱帽!!透析15年の方が「透析が30年、40年となったときに、サッちゃんと同じような気持ちになりたい」とおっしゃっていましたが、お仲間に一杯元気をあげることで、皆さんから慕われているんですね。年が明けて体調が思わしくないと聞いて心配していますが、この冊子が届く頃にはまた元気印のサッちゃんに戻っておられることでしょうね。

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