体験談 / 一病息災 Vol.97 – 腎臓サポート協会WEB

体験談 / 一病息災 Vol.97

腎臓病と共にイキイキと暮らす方々に、腎臓サポート協会理事長 松村満美子がインタビュー
(職業や治療法は、取材当時のものです)
  • PD
  • 移植

西木戸 明日香 さん(にしきど あすか:1986年生まれ)

透析をしていても、前へ前へと進んで行かなくては
1955年生まれ。先天的に左の腎臓が小さく、腎不全に。1996年腹膜透析(CAPD)を開始。2003年から2年半の施設透析を経て、2006年から在宅血液透析を始め、今に至る。趣味のビーズ織りは師範級で、講習会や展示会も開催している。

患者さんの体験談~一病息災~ vol.97

お人形を作っているうちにいろいろなものと出会い、世界がどんどん広がりました

腹膜透析(CAPD)、施設血液透析、在宅透析と17年間の透析生活を送りながら、常に前向きで、アクティブな辺見加代子さん。ヨーロッパのアンティーク・ドールに魅せられたことがきっかけで、ビーズ織りを学んで人に教えるまでに。

腎移植から20年、30才で男子を出産

松村 小学校のときにお母さまの腎臓を移植し、一昨年、お子さんを出産なさったとのことですが、なにも問題はありませんでしたか?
西木戸 ずっと順調で問題は何もありませんでした。
松村 出産するときは、ご主人は心配なさったでしょう?
西木戸 移植をしてくださった東邦医大の相川厚先生から大丈夫といわれていましたし、相川先生の「日本の臓器移植」という本を主人と一緒に読んで勉強しました。
松村 良いご主人ですね。出会いはいつ?
西木戸 主人とは高校時代からの付き合いなんです。
松村 長いお付き合いなんですね。移植したことは最初から話していたのですか?
西木戸 移植したのは小学生でしたから、高校のころは知っている人はほとんどいなくて、話しませんでした。
松村 いつ打ち明けられたの?
西木戸 自然にです。プールにいったときにビキニを着ていたので、傷跡を見て「それ、何?」という感じでした。
松村 傷跡は気にしないの?
西木戸 周りで気する人もいるかなと感じましたが、私は気にしませんでした。
松村 結婚するとき彼のご家族からの反対はありませんでした?
西木戸 もちろん心配なことはあったと思うのですが、相川先生からの説明をお話して、それにとても元気でしたから。
松村 ご両親も祝福してくださったのね。で、念願のお子さんに恵まれたんですね。
西木戸 はい、移植してから20年、30才で産みました。
松村 お産はどちらで?自然分娩ですか?
西木戸
移植した東邦医大でずっと診ていただいているので、そちらにお世話になりました。なかなか出てこなくて陣痛促進剤を使いましたが、問題はありませんでした。 赤ちゃんが産まれたときは、相川先生も祝福してくださいました 赤ちゃんが産まれたときは、相川先生も祝福してくださいました
松村 今度は二人目ですね。
西木戸 欲しいのですが、実は主人の都合で3年ほど海外勤務になるので、その間は難しいかなと思っています。
松村 どちらに行かれるの?海外で何かあったら心配ですね。
西木戸 フランスです。半年に1回は通院のため帰国するので、大丈夫だと思います。
松村 そうですか。今は免疫抑制剤はどのくらい飲んでいるの?
西木戸 朝ネオーラル3錠とイムランを半錠、夜はネオーラル2錠です。
松村 それだけですか、そんなに少なくて、きっとすごく順調なんですね。

さまざまな治療を試し腎移植にたどり着く

松村 原疾患は何だったのですか?
坂口 腎臓がひとつ成長してなくて、片腎だったんです。
松村 いつわかったんですか?
坂口 4歳のときです。
松村 何か症状があったのですか?
坂口 すごく元気だったのが、急にぐたっとして。そのうち頭が痛いというので小児科に連れて行ったらタンパク尿がでているから大きな病院で診てもらうよう指示されました。うちは福岡なので久留米医大にいったら、腎臓が悪くて血圧が高いといわれて。
松村 高血圧で頭痛がしたんですね。それで片腎だということがわかったんですか?
坂口 腎生検のために入院してエコー検査をしたら腎臓がひとつしかないことが分かり、腎生検はできなかったんです。
松村 生まれつきですか?
坂口 産まれたときは未熟児で検査もしたのですが、何もいわれませんでした。あとで移植したときに低形成腎だということが分かりました。
松村 それでどんな治療を?
坂口 減塩程度で特別な治療はされなかったので、病院を変えれば方法があるかもと九州大学病院にいったのですが。
松村 良くなりましたか?
坂口 いえ、悪くなる一方で、藁にもすがる思いで民間療法を試したりしました。
松村 どんな?
坂口 お灸で体を温め血液の循環をよくしたりとか。
松村 効果はありましたか?
坂口 いえ、大阪まで行って受けたのですが、3ヶ月続けても効果がなく、福岡に戻ってきました。近所の泌尿器科の先生に相談したら、久留米医大が良いということで、もう一度久留米医大にかかり、透析をすることになりました。
松村 いくつのとき?腹膜透析(PD)ですか?
坂口 8歳です。その前に一度だけ血液透析(HD)を受けたら痙攣を起こしてしまって、PDを始めました。
松村 子供さんの場合はHDではなくPDが多いですね。毎日透析するので体の負担が少なく、食事制限も緩いので成長を妨げることが少なく、学校にも行きやすいですね。どんなサイクルでPDをやっていました?
坂口
最初は朝昼晩でしたが、子供なのでじっとさせておくのが大変でした。だんだん具合が悪くなって、1日5回に増やし、それと夜もやってました。 病院でPD(腹膜透析)をしていたころ 病院でPD(腹膜透析)をしていたころ
松村 APD(寝ている間に自動的に透析液を交換する方法)ですね。
坂口 はい、学校の近くにマンションを借り、昼に帰ってきて透析液の交換をしました。
松村 それは大変でしたね。それでいつ移植をしたのですか?
坂口 1996年11月です。10歳のときで小学校4年でした。
松村 移植は以前から考えてたの?
坂口 PDを始めたころに本を読みぜひ移植をさせたいと思うようになりました。
松村 久留米医大では移植はしていなかったのですか?
坂口 当時は子供はしてませんでした。適合検査だけ受け、明日香と私は双子のように相性が良いことが分かりました。
松村 移植する病院はどうやって見つけたのですか? 
坂口 宮崎に小児腎移植の経験がある先生がいらしたので東邦医大の長谷川昭先生を紹介していただき、お二人に執刀していただきました。私の腎摘出は相川先生が担当してくださいました。
松村 素晴らしい先生方に出会えて良かったですね。

腎移植で救われた命が新しい命を産んで

松村 子供のころ病弱だったのは覚えていますか?
西木戸 はい、最初に頭が痛くなった記憶があります。入院したり、PDでお腹に管がついていたこと、あまり学校にいけなかったのも覚えています。
松村 ご兄弟やよその子と比べて、自分は違うと感じましたか?
西木戸 小さいときから食べ物の制限も多く、体育も見学、それが当たり前だと思ってました。年子の妹がいるのですが、「ママと一緒にいられなかった」といつもいわれます。
坂口 入院が多く私はつきそっていましたし、移植のときは3ヶ月も留守をして、下の子には可哀想な思いをさせました。でもその後は同じように育てているんですけどね。
松村 小さいときですから、しかたないかもしれませんね。でも今では仲良しなのでしょ?
西木戸 はい、主人の同僚と結婚して近くに住んでいるので、とても仲はいいです。
松村 それは良かった。ところで移植をするときは、どんな感じでした?
西木戸 いろいろ手術をしたので、大きな手術をするのかな~くらいの感じでした。
松村 移植してみてどうでした?
西木戸 食べ物の味がするのが嬉しかったです。味噌汁は飲んではいけないものだったのが、飲んでもよいといわれてびっくりしました。
坂口 漬物も梅干しもそうだったわね。いつも冷蔵庫を開けて食べものを探していてね。
西木戸 太っちゃダメっていわれながらも、食べたくてしょうがありませんでした。それまで給食も食べられなかったので、給食はこんなにおいしいんだと感激しました。
松村 とてもに元気になったのね。移植後に注意してることは?
西木戸 減塩ぐらいですが、検診のたびに順調だといわれます。
松村 お母さまの腎臓ととても相性がよかったようで、お母さまのおかげですね。
坂口 私は絶対にこの子は良くなると信じていたんです。いい先生方に巡り会え、こんな可愛い子供が産まれ本当に幸せです。

インタビューを終えて

移植までのお母さまの不安と心痛はそれは大変だったことでしょう。当時の気持がお母さまの言葉の端々からにじみ出ていました。学校検尿のお陰で、後天的な腎不全で透析に入る子供は極端に少なくなり、先天的奇形などで透析が必要になっても、PDがあり、移植で明日香さんのように幸せになれる医療の進歩には目を見張るものがあります。私が腎不全と関わるキッカケとなった40年前の血液透析に苦しむ子どもたちの姿が浮かんできました。その子どもたちの分まで、明日香さん、お幸せにネ。

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