「透析の歴史」
現在、腎臓病なんでもサイトでは、読者のみなさんに透析についてよりよく知っていただくだめ、特集「もっと透析を知ろう!」を掲載しています。そこで、今回のニュースピックアップのコーナーでは、透析の歴史についてご紹介しようと思います。
英語で透析のことをDialysis(ダイアリシス)といいます。この言葉は、ギリシャ語の「dia」=“こちらから向こうまで通る”と、“分ける”という意味の「lysis」を合成して、19世紀中ごろに作られました。作ったのは、化学の分野で有名な“グレアムの法則”を発見したスコットランド人、トーマス・グレアム。液体に溶けている特定の物質を透過する性質をもつ半透膜(透析膜)を見つけました。グレアムは、いずれこの膜が医学分野で役に立つだろうと予言していたようですが、当時はこの発見がどのように役に立つのか、まだよくわかっていませんでした。
おおよそ半世紀後の1913年にアメリカ人のアベルが、薬物中毒の治療用に、透析膜を使用して血液から毒物を除こうと試み、透析の医学への応用が現実のものとなっていきます。その後、尿毒症・腎臓病の治療に透析が用いられるようになるまで、長い時間はかかりませんでした。
腹膜透析(PD)も血液透析(HD)も、治療法として安定したのは、第二次世界大戦の後です。戦争中、爆撃の影響でクラッシュ症候群(座滅症候群)を発症して腎不全で亡くなる例が増え、それに対応するため、透析技術が進化したのです。ドイツに占領されていたオランダで、コルフ医師が開発したコイル型の人工腎臓、ドラム缶ほどの大きさの洗濯機のような機械で尿毒症になった人々を救ったことが伝えられています。
日本は、今でこそ約29万人の透析患者を抱える透析大国・透析先進国といわれていますが、その歴史は、他の先進各国よりも新しく、1967年に血液透析(HD)が健康保険の適用となり、遅れて1980年から日本に導入された腹膜透析(PD)が1984年※に保険の適用となりました。その意味では、まだまだ30年余りの新しい治療法ともいえるのです。
※腹膜透析の保険適用の開始年を1985年と記載しておりましたが、正しくは1984年です。お詫びして訂正いたします。
さて、こうした歴史をもつ透析ですが、その原理を復習してみましょう。
実は透析の原理は腹膜透析(PD)も血液透析(HD)もそれほど大きく変わりません。理科の実験で習う「拡散」の原理と透析膜(PDなら腹膜、HDなら人工透析膜)を利用して、血液中の溶質(溶けている物質)から、老廃物や毒素、水など特定の物質を抜き取っています。
拡散とは、この場合、液体に溶けている物質の濃度が一定に広がる力のこと。水にインクを一滴、落とした時のことを想像してみて下さい。またたくまにインクが広がっていき、濃度が一定になっていきます。
一方、透析膜には非常に小さな穴が開いており、この穴を通過する小さな分子(例えば水や尿毒素)と、通過できない大きな分子(蛋白質や細菌、細胞)を分離できます。
透析膜を隔てて血液と透析液を同じところに入れておくと、時間がたつにつれ、先ほどのインクの例のように、血液側から透析液側へ、小さな分子である尿毒素などが透析膜を通過して拡散してきます。一方で、赤血球や白血球など、血液にとって重要な大きな分子は透析膜の穴を通過できず、透析液側に移動することはありません。
血液と透析液が同じ濃度になったところ(平衡状態)で、小さな分子の移動は止まります。この時、透析液を交換することで、どんどん尿毒素や老廃物を排出することができるのです。
また、このほかに、特定物質の濃度の薄い液体から濃度の濃い液体へ水分を移動させる原理(浸透圧)を利用して、水分の除去(除水)も行っています。


