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患者さんの体験談~一病息災~

第16回

谷 一枝さん(たに かずえ:1949年生まれ、看護師)
保存期 PD

 

「『腹膜透析なら仕事も続けられるよ』。担当医の一言で腹膜透析を選びました。仕事にも復帰。今ではすっかり元の生活に戻っています」

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谷 一枝さん 昭和24年愛媛県生まれ。松山市在住。
看護師として活躍しながら結婚、出産を経て、子育てが一段落した後に、市内の個人病院に復帰。以来約20年勤務する。平成19年1月の職場健診で腎不全がわかり、3ヵ月後、腹膜透析を導入。今もパートで仕事を続ける。
同じ時期に、最大の理解者であった母親が脳梗塞となり、昨秋逝去。
一男一女は独立し、現在は夫と二人暮らし。
元気に働いていた50代 突然の発症にショック

平成19年ですから、今から2年前のことです。1月5日の仕事始めの日に、勤めている病院で血液検査を受けたら、腎不全と診断されたんです。青天の霹靂とはこのこと。その前の年の職場健診で、血圧が150〜160に上がったので、降圧剤を服用していましたが、ほかにはまったく症状がなかったですし。何年か前からちょっと太ってきたかなというくらい。風邪一つひかず、元気に毎日働いていました。

仕事柄、腎臓病の患者さんもたくさん見てきましたが、足のむくみのような特徴的な症状もないし、「なぜ自分が?」という思いでいっぱいでした。県立病院に2週間入院し、食事療法を受けたのですが、退院して3ヵ月後、クレアチニン値11、BUNが130近くにまでなり腹膜透析に。自分でもどうすればいいか、戸惑うばかりの数ヵ月間でした。

腹膜透析に出会って看護師の仕事に無事復帰

その思いは家族も同じ。当然、仕事は辞めてと反対されました。実は、退院後もほとんどフルタイムで働いていたんですよ。県立病院の若い先生からも「仕事のことなんか考えずに、まず自分の身体が大事」といわれました。でも、担当の先生はそうじゃなかった。「腹膜透析なら仕事も続けられるよ」と。血液透析のことはよく知っていたので、透析時間や食事制限など、導入に対して抵抗があったのですが、話を聞いて、腹膜透析ならなんとかなるかなと思ったのです。

長い間勤めていますし、私が抜けることで、ほかのスタッフに迷惑をかけたくなかった。そんな思いを察して、先生は腹膜透析をすすめてくださったのかもしれません。一日4回、昼間に透析液を交換する腹膜透析(CAPD)を1ヵ月ほど続けた後、夜寝ている間に器械が自動的に透析液を交換してくれる腹膜透析(以下APD)に変更して1年半余り。もうすっかり普段通りの生活に戻っています。最初は液を抜くとき、ズンと身体が浮くような感じがしましたが、それも徐々になくなり、透析中の小さな器械音も気にならず、朝までぐっすり寝ています。
(注)腹膜透析には、就寝中に器械を用いて自動的に透析液を交換するAPDと、日中数回、透析液を交換するCAPDがあります。

自分の身体のことより周囲に迷惑をかけたくなかった

仕事も、午前中だけですが続けています。結婚を機に松山に住んでまもなく今の病院に勤め、途中、子育てのため10年ほど休みましたが、子供たちの手がはなれ、アルバイトから再開して、もう20年になります。専門病院や大規模病院も経験しましたが、個人病院の看護師は特に仕事が煩雑で大変です。注射、処置、点滴など通常の業務に加え、先生の診察に際して検査データを事前に見ておくのはもちろん、患者さんの顔色や精神状態なども報告する必要があります。

つねに平常心で当たらなくちゃならないのに、自分が精神的に落ち込んでいては仕事にならないわけです。だから、腎不全になったときは本当に悩みました。自分の身体がどうのというより、病院や家族や、周囲を心配させるのが辛くて。今は、主に点滴、診察補助、うつ病の患者さんのケアなど、比較的動き回ることの少ない仕事に移りましたが、APDに出会って、本当によかった。透析のことで患者さんに逆に気を使ってもらうようなこともなく、今まで通り元気な看護師で通っています。

母の教えを守り、悔いのない生き方をしたい

去年の11月に、母が89歳で亡くなりました。おととし、私が血液検査をした日の前日に、脳梗塞で倒れたんです。自分も入院してしまったので、看病もできず、身を切るような思いでしたが、夫も慣れない家事を引き受けてくれ、娘と息子のお嫁さん、そして同じ看護師の妹が協力して乗り切ってくれました。妹が見舞いに行くと「お姉ちゃんはどうして来ないの?」と聞くのだそうです。病気のことも、透析のことも、母には最後まで伏せたままでした。私に看護師になるようすすめてくれたのも母です。

父を早く亡くし、10歳を頭に4人の子を女手一つで育ててくれた母の口癖が「これからは女も資格を取って、仕事を持ちなさい」でした。私も母もその前年まで元気に過していただけに、何か不思議な縁を感じます。通夜の日も、APDをしながら棺に添い寝しました。血液透析でも腹膜透析でも、腎臓移植 でも、その人にとって悔いのない、最良の方法を選べばいい。私の場合は、APDを選んで、家族のありがたさ、仕事を続けられる喜びを、心からかみしめているところです。

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