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患者さんの体験談~一病息災~

第18回

柳瀬隆子さん(やなのせ たかこ:1971年生まれ、主婦)
PD+HD→移植

 

「不妊治療も出産もなんとかなった。だから皆さんも夢をあきらめないでください」

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柳瀬隆子さん 1996年、慢性腎炎と診断される。その後、3年間の食事療法を経て、1999年にPDを導入。2004年、職場の同僚だったご主人と結婚し、2007年9月に女児を出産。2009年4月、生体腎移植を受ける。現在はご主人と娘さんの3人暮らし。家事に育児に忙しくも充実した毎日を送る。
PDをしながら仕事も遊びも楽しんだ独身時代

PDを導入したのは28歳のときです。透析治療が決まったとき、先生から血液透析(HD)と腹膜透析(PD)があるという説明を受けました。当時は独身で仕事をもっていましたので、仕事が続けられるようにPD(CAPD)を選択。1日4回、朝、昼、夕方、寝る前のバック交換で、昼は会社の医務室を借りて行いました。

PDを始めてからも仕事はもちろん、旅行などもこれまでどおりに楽しみましたね。体調がよくなったので、旅行はむしろPDを始めてからのほうがよく行くようになったくらい(笑)。週末はAPD(夜間寝ている間に行うPD)にして、次の日は自由に1日遊べるようにするなど、予定に合わせてCAPDとAPDを組み合わせて利用していました。

 主人と付き合い始めたのはPDを導入して1年経った頃。PDのことを話すのは、やはりためらいがありました。でも思い切って話をしてみると「薬を交換すれば、どこでも一緒に行けるんでしょう?」の一言。全く気にしない様子になんだか拍子抜けしてしまって(笑)。それからは勉強会に来てくれたり、病気や治療法について一緒に学んでくれました。彼といると病気のことを考えずにいられました。それまで、どこか引け目を感じていたのですが、それがなくなりましたね。

どうしても赤ちゃんがほしい!不妊治療、妊娠、出産へ

33歳で結婚。子どもはすぐにでもほしかったです。先生からは「移植してからのほうがいいのでは?」とも言われたのですが、年齢的なこともあり、移植してからでは遅いと思いました。それに(妊娠、出産によって)いただいた腎臓に負担をかけるのは申し訳なくて…。私の決心を知ると先生は、すぐに産婦人科の先生に電話をして、いろいろ相談をしてくださいました。自然な妊娠は難しかったので、体外受精をすることに。そして3回目の体外受精で妊娠! 切迫早産の危機を乗り越え、2007年9月28日、帝王切開で無事女の子を出産しました。

ご家族との写真。

不妊治療、妊娠、出産はやはり大変なことでした。不妊治療は体力的にも辛かったのですが、PDはHDに比べ、疲労感が格段に少ないので治療を続けることができたと思います。妊娠前期はCAPDとHDの両方を行い、5ヵ月を過ぎた時点で透析液が子宮を圧迫するのはよくないとのことでHDに切り替えました。

その頃のことを思うと、育児は全然大変ではありません! 嬉しそうに娘に接する主人や両親の姿を見るとき、本当に幸せを感じるんです。

娘のために少しでも長生きしたいと移植を決意

2009年4月に母から腎臓を提供してもらい移植手術を受けました。実は透析開始時から母は移植を希望してくれていたのですが、母の体を傷つけるのは偲びなく、なかなか心が決まりませんでした。でも、娘が生まれ、少しでも長く生きたいと思うようになったんです。それに10年前に比べ移植の成績が飛躍的によくなったこと、出産の5ヵ月後に一度CAPDに戻したのですが、腹膜の限界が近づき、またHDになってしまったこともあり、決心をしました。今は3週間ごとに通院しています。薬の量がもう少し落ち着いたら、スポーツなども始めたいと思っています。

若くして腎不全になると恋愛や結婚、出産といろいろ悩みがあると思います。でも決して夢や希望をあきらめないでほしいですね。もし、先生に反対されても、協力してくださる先生もいるはず。複数の先生に相談する方法もあると思います。幸せになれるように自分から積極的に行動を起こしてください。私でも何とかなったので、きっとなんとかなると思いますよ!

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